菩薩は成仏を目指して修行する。その修行の成果は、彼が仏に成った時に住むことになる新世界=「仏国土」に反映される。 この「仏国土」こそ「浄土」に他ならないと一般に理解されているが、実は「浄土」と云う観念は中国で形成されたものなのである。インドでは「仏国土」は想像されたが、これは「浄土」ではない。仏国土を「pure land」と捉えたのは中国人の願望だったのである。
従って、大雑把に言えば「浄土」に関する信仰は漢訳仏典の世界にのみ存在するものである。しかし、ここでは「浄土」に関する言説を扱うので、受容した側の心性に合わせて「仏国土=浄土」と前提して話を進めることとする。
さて、最も有名な浄土は阿弥陀仏の西方極楽世界である。
極楽世界は阿弥陀仏の本願によって創造された。大地も街路樹も何から何まで宝石でできていて、全てが金ピカに輝いている豪壮な世界である。
この極楽の起源については、アフラ・マズダーやアメンテやエデンの園やエリューシオンやヴァルナやヴィシュヌやヤマや転輪聖王や北倶盧州や他化自在天や梵天や仏塔や…に結び付けて諸説紛々だが、定説は無い。
さて、極楽が余りに有名になったので、後から造られた浄土創造の神話は何某かの形で極楽を引き合いに出さざるを得なくなった。
例えば薬師如来の東方浄琉璃世界は極楽と全く同じ作品である。
それどころか文殊菩薩は、大海と水滴の差くらいに極楽よりも優れた浄土を建設する。
果ては部下であるはずの観音菩薩までが弥陀を乗り越え、極楽の更に百億万倍優れた浄土を建設すると云う神話まで現れる。
ライバル阿シュク如来の東方妙喜世界には極楽世界との比較は無い。しかし同じ理想の世界に大した違いができる訳が無く、多くの類似点が、特に初期の極楽浄土との間に見受けられる。
但し、釈迦如来がこの娑婆世界そのものを浄土とした ように、浄土は三界の外とは限らない。
例えば、文殊菩薩の浄土をこの娑婆世界の東北方の山中とする有名な神話 がある。山西省の五台山がその文殊菩薩の住処と考えられて霊場となっている。 また、東北方の親近感からか、清朝は「満洲」の語源を「曼殊」とした。 「曼殊」とは、勿論「文殊」と同じ原語の音写である。
また、観音菩薩の浄土は、前述の神話よりもむしろ補陀落山とする神話 の方が有名だが、観音の人気を反映して各地に誘致されている。詳しくは「観音菩薩」を参照のこと。
尚、弥勒菩薩の浄土は兜率天内院とされる が、どうも成仏候補者の共通控え室のようであり、他の仏達の浄土とは趣きが違うようである。