釈迦の弟子1250人の中、舎利弗と双璧を成す長老格の著名な弟子。「神足(じんそく)第一」と讃えられる。「神足」とは超能力のことである。
舎利弗とは隣村同士の友人であり、他教団の支部長をしていた時にも同僚として一緒にいた。
「第一」と謳われた神通力に関しては様々な説話がある。舎利弗にまんまと欺かれた話(「舎利弗」項参照)も、原意としては目連の力が仏の外には無双であることを示すエピソードである。
目連は神通力を駆使して五趣(:「六道」に阿修羅を算入しない数え方)を巡検し、仲間にその様を詳しく語り聞かせていた。釈迦もその目連の活動の意義を認め、「いつでもどこでも目連がいる訳ではないから」として、五趣の有様を図画するように定めた。 これにより、仏教圏では広く「五趣生死輪(ごしゅしょうじりん)」と言われる絵図が流布することとなった。
「お盆」の由来を説く『盂蘭盆(うらぼん)経』の説話では彼が主役である。
神通力を得た目連は、母の育ての恩に報いようと思い立ち、今は亡き母を探し回った。すると、あろう事か餓鬼となって苦しんでいる母を彼は発見する。目連は甚だ悲しみ、すぐに食事を差し出すのだが、餓鬼の定めで食は口に入れる寸前で炎となるばかり。得意の神通力を以てしても如何ともし難く、師匠の釈迦に縋り付いた。
この時釈迦は、僧が暇になる7月15日に彼らを派手にもてなせばその功徳で餓鬼の母が天に生まれられると教えた。勿論目連はその通りに実行し、母も餓鬼道の苦を免れて天に生まれ変わることができたのであった。
目連の最期については悲惨な伝説が残されている。
釈迦80歳の夏安居のこと。既に釈迦は残りの寿命もこの年限りと定まり、目連と舎利弗もまた連れ立ってこの夏安居が明けたら自殺しようと心に期していた。目連はいつもの通り王舎城に托鉢に出かけた。ところが、そんな彼の姿をバラモン達が目敏く見つけた。バラモン達は互いに語らう。「彼は釈迦の弟子の中でも右に出る者がいない人物だ。皆で囲んで打ち殺そう!」哀れ目連は取り囲まれて石くれでしこたま袋叩きにされ、ズタボロにされて打ち捨てられた。肉も骨もぐしゃぐしゃで、全身激痛の固まりである。
目連は立ち上がる気力も残っていなかったので、神通力で帰還した。そして舎利弗の前に最初に姿を現し、悲痛な告白をした。「もう死のうと思う。それで君に別れを告げに来たのだ」。
聞いて舎利弗は開口一番尋ねる。「釈尊の弟子の中でも“神足第一”の誉れ高い君ではなかったか!何故その神足を使って逃げなかったのだ!?」…尤もな疑問である。これに目連は「宿業の報いと云うものだ。業報から逃れることなどできはしないさ」と答え、重ねて死の決意を述べた。それでも舎利弗は食い下がる。「神通力を極めた者は自在に寿命を操作できると言うではないか!どうして死のうなどと言うのか!?」。しかしこれには目連にも言い分がある。「その通りだ。しかし、釈尊ももう亡くなられるのだ。私は釈尊が亡くなるのを見たくはない」。ここに至って舎利弗も説得することは諦めた。最早理屈ではない。「少し待て。先に死ぬから」と言い置くと、本当に舎利弗は先立ってしまった。(「舎利弗」項参照)
残された目連は、舎利弗の死を聞くと釈迦に面会して「お別れに参りました。死のうと思います」と言上する。釈迦は何も言わない。目連は再三同じやりとりを繰り返すが、やはり何の返答も無い。釈迦の諾否を得ぬまま、目連は釈迦の前を辞して生まれ故郷に帰っていった。多くの出家者達が目連と同道し、目連が故郷で滅度を遂げる様を、村一円を埋め尽くした天人達と共に見届けたのであった。
ところで、他の声聞の弟子達同様、目連もまた『法華経』の説法によって大乗に転向して将来は成仏すると云うことにされた。「多摩羅跋旃檀香如来」と云う仏に成り、「意楽」と云う仏国土を建設すると言われている。
水月