歴史的人物としての釈迦は、紀元前6〜4世紀の間に80年間生存していたと考えられている。 姓は「ゴータマ」、名は「シッダールタ」。これが彼の俗名である。
「釈迦」とは、元々は彼の一族の名である。 釈迦族は、日種族の遠祖である甘庶(イクシュヴァーク)王の苗裔とも伝えられており、 ラーマの遠縁に当たる歴としたクシャトリヤ階級の一族である。
しかし彼は王族として生きることを潔しとせず、出家の道を選び、生きたのであった。
一方、神話的な釈迦の物語は、歴史的な情報を遥かに凌駕する膨大な蓄積がある。そこで、ここではなるべく骨格部分を粗述することにする。
釈迦の人生は通常「八相成道(はっそうじょうどう)」或いは「八相示現(はっそうじげん)」と云う8つのトピックを以て理解される。以下の如くである。
尚、第5支「降魔」を除く代わりに、第2支と第3支の間に「住胎」を挿入することもある。
仏教徒にとって、釈迦の死去(「般涅槃(はつねはん)」と言う)は大事件であった。教団の後継者の最有力候補であった舎利弗も目連も釈迦に先立ち世を去っていた。結局、仏滅後の教団は摩訶迦葉が引き継いでまとめるのだが、釈迦の不在はやがて教団を分裂へと導くことになった。
この釈迦の死の受け止め方は、アビダルマ仏教の段階では「無常・無我」の教義に忠実に従ったものであった。即ち、「釈迦は滅び尽くして、今は釈迦が説いた法だけが残っている」と云うものである。
しかし、大乗仏教が新興すると共に、永遠不滅の釈迦如来の本体が構想された。
こうして「本生譚」と云う形で過去に向かってしか領域を広げられなかった彼の神話に、現在進行形の翼が与えられたのであった。
通常、釈迦如来の脇侍(わきじ)とされるのは文殊と普賢の二菩薩である。他にも薬王・薬上菩薩や、観自在・執金剛菩薩、等に置き換えられる場合もある。また、阿難と摩訶迦葉とされることもある。
仏となった後の釈迦の容姿については、後に「三十二相・八十種好(はちじっしゅごう)」と云う、奇怪な風体が想像される。但し余りに奇矯な為か煩雑な為か、仏像を造作する際はそれらの特徴の一部を反映させるに止まる。
尚、この三十二相は理想的支配者である「転輪聖王(てんりんじょうおう)」も持つものとされる。
八相成道・報応二身・脇侍・三十二相等、釈迦についての以上の要素は文字通り“典型”とされる。他の仏や菩薩の神話が創作される際に参照され、軒並み同じパターンが踏襲されたのである。
「釈迦の他の仏」としては、毘婆尸仏・尸棄仏・毘沙婆仏・拘楼孫仏・拘那含仏・迦葉仏が古くから著名である。6名はこの順で相次いでこの世界に現れたが、その後に連なるのが釈迦仏と云う訳である。この設定は「七仏」と言われる。
この延長で、過去「荘厳劫」・現在「賢劫」・未来「星宿劫」にそれぞれ「千仏」が設定されたり、 阿シュク仏や阿弥陀仏や薬師仏等の異世界の諸仏が考案された。
しかし何と言っても、彼についての最大の神話は「全ての経典は釈迦が説いた」と云うものであろう。
明治時代に至るまで、この神話は「神話」ではなく「実話」であった。 ヨーロッパの学者の学問的研究が紹介されて仏教界に巨大な衝撃が走ったその時、この神話は初めて神話となったのであった。
瞿毘耶 │ 耶輸陀羅 摩耶 │ ├──羅ゴ羅 ├───┬─悉達多(=釈迦如来) │ └─難陀 師子頬 ┬─浄飯 ├─白飯 ─┬─跋提 │ └─提沙 ├─斛飯 ─┬─提婆達多 │ └─阿難 ├─甘露飯 ┬─摩訶男 │ └─阿泥盧豆 └─甘露味 ──施婆羅