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まれびと(marebito)
【分類】
日本の伝説(Japanese legend,folklore)
用語(Terminology)
【解説】
「折口名彙」。「まれびと」とは、時を定めて他界から訪れる霊的存在である。これにまつわる民俗儀礼、古典、神話などは数多く見られ、折口信夫はこれに日本人の神観念の祖型を求めた。また、折口学と呼ばれる学問大系の土台となる思考でもある。折口信夫の「まれびと」論を決定的にしたものは、「国文学の発生<第三稿>」(『古代研究(国文学編)』所収 全集第一巻所収)である。
「まれびと」の本来の意味は、『徒然草』の中に「まれびとの饗応なども」と見え、上田秋成が「照る月に 雁のまれびと鳴き渡る わが待つ友は こよひ来なくに」と歌っているように、「稀に来る人(客人)」である。それを折口信夫は、海の彼方にあると信じられていた他界から、時を定めて村落共同体を訪れ、人々を祝福する霊的存在を「まれびと」と呼んだ。それが用語として定着した。折口信夫は、この「まれびと」に対する信仰が、日本の民俗信仰の根幹にあると考えた。
奈良時代に神社が成立することによって(仏教寺院の影響による)神社に御神体が安置されるようになり、「神は神社に常にいらっしゃる」という考えが成立しはじめた。しかし、それ以前は祭を行う際に、山の彼方や海の彼方の他界から神を招き、祭が終われば神を送るのが常であった。つまり、神は神社に常住するものでなく、その時々に招くものであった。『民俗学辞典』の「祭」の項には「神霊をよび迎えてこれに供献侍坐し、もってそれを慰め和ましめること。」と定義されている。供献侍坐された神霊は、人々に祝福を与えるのである。
この、神が去来するという信仰を古典中に見い出してみたい。『記紀』神話では、少彦名神が海の彼方から訪れ、大国主命とともに国造りを行い、再び海の彼方へ帰った、とある。『古事記』では、この少彦名神を「より来る神」と表現している。『常陸国風土記』では、祖神が神々のもとを巡行した際に、富士山の神の所まで来て日がくれた。そこで祖神は富士山の神に宿を乞うたが、「新穀祭を行っている晩でして物忌みをいたしております。そのため、宿をお貸しできません」と断った。祖神は、呪の言葉を富士山の神に残して、筑波山へ向かった。そこでも祖神は筑波山の神に宿を乞うた。筑波山の神は「今夜は、新穀祭ですので、物忌みをいたしておりますが、宿をお貸ししないわけにはまいりません。」として祖神を泊めた、すると祖神は喜んで筑波山の神に祝福を与えた、とある。ここから、新穀祭の晩には、家中が物忌みをして来訪神を待つ、という風習と来訪神を粗末に扱うと、祟り、歓待すると祝福されるという信仰があったことを伺うことができる。これは、『備後国風土記』逸文に見られる蘇民将来譚も同様である。即ち、外者歓待の思想である。この外者歓待の信仰は、知理幸恵訳『アイヌ神謡集』の中にも見い出すことができる。
また、神が去来するという信仰を民俗儀礼の中に見い出すと、まず大師講が挙げられる。旧暦の11月23日の晩に弘法大師(空海)が、地域によっては異なるが、訪れて人々を祝福してまわる。そのため、人々はそれを歓待するというものである。これについても、歓待しなかったために不幸が訪れるという伝説が残っている。ここでは、弘法大師としたが、これは本来は「タイシ」と呼ばれる「大いなる尊い神」であったらしい。これが、仏教の普及と弘法大師信仰との影響によって変化したのである。ここで、注意したいのが11月23日という日にちである。この日は現在では勤労感謝の日とされているが、本来その年にできた穀物を神に捧げ、感謝し、共に食べる日であった。つまり、新穀祭である。(宮中では「新嘗祭」である。また、天皇が即位して始めての新嘗祭を特別に大嘗祭と呼ぶ。)つまり、神がこの世界を訪れる日である。この信仰が古くからあり、「タイシ」が「大いなる尊い神」であった事は、先に挙げた『常陸国風土記』の巡行する祖神の例からも裏付けられよう。
この他にも神が去来するという信仰を民俗儀礼には、秋田のナマハゲ、山形のアマハゲ、岩手のスネカ、石川のアマメハギ、種子島のトシドン、宮古島のパーントゥ、八重山のアンガマ、アカマタ・クロマタ、ミルク、マユンガナシ、フサマラー等をあげることができる。ここで挙げた行事は人が仮面をかぶり、仮装してあらわれる儀礼である。また、盆に帰ってくる先祖も他界からの「まれびと」といえるであろう。八重山のアンガマは、祖先霊である翁と媼の面をつけ、仮装をし、家々を訪れる儀礼である。そこで、人々と祖先霊の間で機知に飛んだ問答が繰り広げられ、共に踊り、歌うのである。アンガマがごちそう等を催促する場合もある。先にも述べたが、この、他界から訪れるモノと現世の人間が親しく交流する所に日本人の祭の原点が見えてくると思う。
折口信夫は、これらの「まれびと」の原形を祖霊に求めた。折口信夫は、柳田國男との対談(「日本人の神と霊魂の観念そのほか」司会・石田英一郎『柳田國男対談集』宮田登・編 ちくま学芸文庫所収)において、次の様な話をしている。「石田・折口先生、まれびとの中には祖霊とか祖先神とかいう観念は含まれておりましょうか。折口・それはいちばん整頓した形で、最初とも途中とも決定できませんが日本人は第一次と見たいでしょうな。常世国なる死の島、常世の国に集まるのが祖先の霊で、そこにいけば、男と女と、各一種類の霊魂に帰してしまい、簡単になってしまう。それが個々の家の祖先というようなことでなく、単に村の祖先として戻ってくる。それを、そうは考えながら、家々へ来るときに、その家での祖霊を考える。盆の聖霊でも、正月の年神でも、同じことです。その点では、い近代までも、古い形が存しているのでしょう。私はどこまでも、まれびと一つ一つに個性ある祖先を眺めません。分割して考えるのは、家々の勝手でしょう。だが家々そのものが、古いほど、そういくつもなかったわけだから。柳田・常世からきたとみるか、または鉢たたきの七兵衛と見るか、受け方だけの事情ではなかったろうか。」この対談は柳田國男と折口信夫の考え方の違いが良く現れ、非常に興味深いものである。私は、「折口信夫」の項で、「日本民俗学の祖である柳田國男は、折口信夫のこのような点を快く思っていなかったようである。」と述べた。この対談からもそれを伺う事はできる。この確執の中で、最も有名なのが、奇しくも折口信夫の「まれびと」論を決定的にした「国文学の発生<第三稿>」(原題『常世及びまれびと』)の掲載の問題である。これを、一つの「まれびと」をめぐる研究史の一つとして紹介しておきたい。これは、岡正雄の証言である。(ここでの先生とは柳田國男である。)「『常世及びまれびと』、あの原稿を折口さんにいただいて先生にお見せしたら、こんたものは載せられないといって折口さんに返せといわれたのです。僕はそのとき先生とかたり激しくやりあったのですが、それじゃお前、勝手にしろといわれた。勝手にしろといわれても、そんたことできやしない。原稿は僕の手元に置いておきました。それで非常に難しい空気が先生と僕の間にできてきました。この事情が折口さんの耳に入って、折口さんは僕に、いいですよ、また書きますから返してくださいといわれたんですが、僕はお返ししなかった。……先生の『民族』への直接の関与は第三巻まででしょう。第四巻はほとんど僕と岡村さんだけで編集したんです。それでといってはおかしいが、それまで宙ぶらりんにたっていた折口さんの『常世及びまれびと』を漸く載せることができました。(インタピュー「柳田國男との出会い」『柳田國男研究』創刊号・昭和四八年二月〉」この掲載を拒んだ理由は、「折口信夫強烈な個性を発揮し、証明を飛び越えて、一気に結論を導きだしてしまうのである。」という点であっただろう。「まれびと」論もそのような所から発生している事は事実である。
折口学の根本が「まれびと」にある事は先に述べたが、折口信夫自身は「まれびと」に関して、どのような結論に辿り着いたのだろうか。折口信夫の晩年の論文であり、他界論の集大成と言える「民族史観における他界観念」には、「まづ最初、我々生類の住んでゐる世界から、相応の距離があり、人間世界と、可なり隔つてゐるが、そこまでは、全く行った人もなく、出向いて来た生類もなかった訣ではたかった、さう言ふ地域である。其ばかりか、彼方から、時を定めて稀々ながら来る者があり、問々ひよっくり思ひがけない頃に、渡って来ることもある。此偶然渡来するといふ形の方が寧、普通の形式のやうに思はれてゐたほど、さう言ふ考へ方が普通になって来たのである。何の為に渡来するのか、その目的を忘れてしまつたよりも、だからも一つ古い姿のあつたことを考へてよい。こちらからも稀々は、船路の惑ひや、或はまぐれあたりに、彼地に漂ひ著いたり、極めてたまにはそこの「神聖者」から呼び寄せられたとは知らず乍ら、この他界に到著した場合もある。さう、考へられてゐた。
扨その他界の生類は、此土からの漂流者の目的を知る知らぬに繋らず、随分歓待して、時が来ると賓客を送るやうに還しておこせた。其等の帰還者の物語つたらしく見える内容を伝へて、人々は、他界の面影を、想像してゐたのである。」とある。最晩年に辿り着いた結論であると言え、この翌年に折口信夫は亡くなるのである。
この「まれびと」を論じる際に注意しなければならないのは、この語が神話・伝説を読み解く上での抽象概念であり、一つの視点でしかない、という点である。他の項目のように伝説や民間信仰、民俗儀礼に出てくる具体的事象ではない。この「時を定めて他界から訪れる霊的存在」という抽象概念を具体的事象当てはめて、眺めてこそ有用なものなのである。
春桜庵主人
【参考文献】
『折口信夫全集』中央公論社
『折口信夫事典』西村亨編 大修館書店
『日本民俗文化大系 折口信夫』池田弥三郎 講談社
『民俗学辞典』柳田國男監修・民俗学研究所編 東京堂
『日本民俗事典』大塚民俗学会編 弘文館
『柳田國男対談集』宮田登・編 ちくま学芸
『神道事典 縮刷版』國學院大學日本文化研究所編 弘文館
『マレビトの文化史 琉球列島文化多元構成論』吉成直樹