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 崇徳上皇(すとくじょうこう)

【分類】

 日本の伝説(Japanese legend,folklore)


【解説】

 父は鳥羽上皇、母は藤原璋子。父ともされる曾祖父の白河法皇に寵愛され、わずか4歳にして鳥羽天皇を退位させ、1107年に第75代天皇となる。鳥羽・後白河派と崇徳派の争いは、白河法皇の後をついで絶大な権力を振るった鳥羽法皇の死後武力衝突に発展し、保元の乱が勃発する(1156年)

 戦いに敗れた崇徳上皇は讃岐の国に流され、後白河朝廷に対する恨みの日々を過ごす。中でも、壮絶なのは、自らの血で大乗経を書き、
「この写経の功力を三悪道に投げ込み、その力をもって日本国の大魔縁とならん」
と言って、舌を噛み切りその血でさらに呪詛をしたというエピソード。(保元物語・平家物語)
 その後、爪も髪も切らず、生きたまま天狗になったといわれる。
 崇徳天皇は、1164年に帰京も叶わぬまま死去し白峯に葬られるが、その死因にも諸説あり、一説には、二条天皇の命を受けた三木近保による暗殺ともいわれる。
 鹿ヶ谷事件(1177年)で世情不安なころ、崇徳上皇の怨霊について囁かれ始める。ここではじめて崇徳院の院号が贈られ、怨霊慰撫がなされる。
 だが、その後も京の大火、妖星の出現、源平の騒乱、平清盛の怪死など、上皇の呪詛によるとの噂は絶えず、源頼朝や後白河法皇も怨霊慰撫を繰り返す。しかし、1183年、前述の血書大乗教が崇徳の遺児によって都にもたらされ、怨念の深さを思い知らされることとなる。

 魔王となった上皇は、とどまるところを知らず、全国の天狗を眷属とし、様々な戦乱、祟りを引き起こす。
 一例としては、太平記で愛宕山で淳仁天皇や後鳥羽上皇らと天下を乱す相談をしているところが語られている。その姿は、背中に大きな金の翼が生えたトビとされ、まさしく天狗の王である。

 中世に怨霊としての姿が定着した崇徳上皇は、近世になっても恐怖の対象とされ、雨月物語では西行に怨みを語る場面がある。
 幕末にいたっても、その恐怖は現実のものとしてとらえられ、1868年、朝廷は崇徳上皇の神霊を京都に迎え、官幣大社として白峯神宮を創建する。これは、戊辰戦争において上皇が幕府軍に味方することを恐れてのことといわれる。白峯神宮には前述の淳仁天皇も祀られていることからも、いかに怨霊の祟りを恐れていたかがうかがわれる。
 その後も、遷座の際の豪雨や、1964年死後800年祭での出火全焼事件、直後の雷雨など、ことあるごとにその祟りは囁かれている。

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【参考文献】

 ・『神社と神々』 井上順孝(実業之日本社)
 ・『魔の系譜』 谷川健一(講談社)