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 俵藤太(たわらのとうだ)

【分類】

 日本の伝説(Japanese legend,folklore)


【解説】

 藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の異称とされ、田原とも書き、たわらのとうたとも呼ばれる。
 近江の国(現在の滋賀県辺り)田原の生まれで、藤原家の長男だったことから、田原藤太秀郷(たわらのとうだひでさと)と呼ばれていたのだという。
 また龍神より米の尽きない俵を授かったことから、俵藤太と呼ばれるようになったともいわれる。
 実在の武人藤原秀郷に、勇敢な伝説を付与して英雄化した架空の人物が、俵藤太なのだろう。
 『太平記』や御伽草子『俵藤太物語』などに書かれる俵藤太は、龍神の頼みを受けて、大百足(おおむかで)を退治する。

<俵藤太物語>
 朱雀天皇の時代のある時、近江の国瀬田の唐橋に長さ20丈(60m)もの大蛇が横たわるということがあった。人々は怖れて橋を渡ることができなかったが、そこに出くわした藤太は、少しも怖れることなく大蛇の背を踏みつけて橋を渡ってしまう。
 その夜、ひとりの若く美しい女性が藤太を訪ねてきて彼に言う。
「私は昼間お会いした大蛇で、琵琶湖に住む龍神の一族の者ですが、三上山の百足に苦しめられ困っています。あなたを見込んで、百足の退治をお願いしたい。」
 藤太が快諾し、先祖より受け継いだ名剣と重藤の弓に3本の大矢を携えて三上山に臨むと、稲光と共に、2、3千本余りの足の全てに松明を掲げて、三上山を7巻き半するほどの大百足が現れた。
 藤太は2本の矢を射るが、大百足には通じない。そこで矢尻に唾を吐きかけ、南無八幡大菩薩と祈念して射ると今度は通じ、大百足を退治することができた。
 藤太は、龍神の女性からお礼にと、いくら裁っても尽きることのない巻き絹2つと、思うままに食べ物の出る赤銅の鍋、米の尽きることのない俵を贈られた。
 またその後龍宮に招かれ、龍王から黄金札(こがねざね)の鎧と太刀、赤銅の鐘を贈られた。

 龍神の女性を、乙姫と呼ぶものもある。龍王は、髭をたくわえた立派な老人として姿を現すこともある。
 唾は、妖怪が苦手だとも、百足が苦手とするという言い伝えがあるともいわれる。『眉唾(まゆつば)』や『唾打ち』などと同じく、まじないの一種だろうが由来はわからない。唾液の持つ殺菌効果から来ているとも考えられるが、やや弱いだろう。

<藤原秀郷>
 生没年不詳。下野(現群馬、栃木県辺り)に勢力を持った武士で西暦940年、平将門の乱に際して、平貞盛とともに将門を討ち、その功績より従四位下に叙され、下野守に任ぜられた。この将門との戦の際、秀郷が将門を直接弓で射たと伝説にはある。
 佐野、足利、小山、結城といった諸氏、また奥州藤原氏もその血筋を継ぐといわれる。
 現在、栃木県佐野市の唐沢山神社にある避来矢(ひらいし)の鎧(国指定重要文化財)は、藤太が龍王より贈られた鎧だと伝わっている。
また同じく贈られた鐘を、瀬田の唐橋に近い園城寺(おんじょうじ)に寄進したとされている。

<園城寺(三井寺)>
 藤太が寄進したとされる三井寺の鐘は、実は奈良時代の作のようで、ほぼ建立当時の物らしい。またこの鐘は『弁慶の引き摺り鐘』と呼ばれており、武蔵坊弁慶が引きずったことがあるといわれている。
 三井寺には、もう一つ『三井の晩鐘』と呼ばれ日本三名鐘に数えられるほどの音色を持つ鐘がある。こちらの鐘にも伝説があって、その伝説にも湖に住む蛇の化身の女性が登場する。
 おそらく三井寺にある『三井の霊泉』と、水の点で関連づけられているのではないだろうか。

<百足退治>
 百足退治を題材にとる話は『神を助けた話』の形を取っていくつかあり、特に有名なのは日光山と赤城山の神戦を書いた『日光山縁起』また『磐次磐三郎の物語』で、次のようなもの。
 日光の二荒(ふたら)山神(また日光権現)と上野国の赤城明神は、山中の湖の領有をめぐって争っていた。二荒山神は、孫の小野猿丸(猿丸太夫、また猟師の磐次磐三郎兄弟)に「私が勝てば、山の狩場の権利を与える」という約束で助太刀を頼んだ。二荒山神は大蛇に変化し、赤城明神は大百足にその身を変えて戦うところに猿丸は現れ、得意の弓で大百足の左目を射て、見事大百足の赤城明神を退けた。磐次と磐三郎はマタギ(東北地方の狩猟の民)の祖とされている。

 日光山と赤城山の所在が藤原秀郷の本拠地である下野付近であることから、おそらく俵藤太の物語は、もとは上記の形だったものを、藤原秀郷の名を高めるために秀郷の伝説として取り込んだものと考えることもできる。
 その伝説がなぜ、秀郷が行ったことがあったかどうかもわからない近江に移ったのかは不明だが、三井寺の鐘の伝説が後付の由来であることから、いくらか予想することはできるだろう。

 大百足の龍神との対立を、鉱山の民と、その下流の水質汚染で苦しんだ民との対立だったのではないかと考える説があるようだ。
 鉱山の坑道を百足と呼ぶことがあったようだし、伝説に現れる百足が掲げる多くの松明も、坑道を思わせる。また、三上山付近に鉱山があったのも事実のようだ。
 確かに、伝説上の敵役は、ヤマタノオロチ、ツチグモなど、実在した人間の勢力だったと言われることが多い。しかし、この百足についてはどうか。
 実は秀郷の地元でありその一族の佐野氏の名が残る栃木県佐野市は、足尾銅山の鉱毒問題に取り組んだ田中正造の生地でもある。
 おそらくこの2人を重ねたことが、百足と鉱山が結びついた一つの大きな要因ではないだろうか。
 中世の以前の人々が、鉱山と水質汚染との関係を正確に理解していたかは定かではなく、百足を鉱山と結びつけることは、かなり近代的な考え方だと言わざるを得ない。

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【参考文献】

 ・『日本書紀』 坂本・家永・井上・大野校注 岩波書店
 ・『古事記』 武田祐吉訳注 中村啓信補訂・解説 角川書店
 ・『今昔物語集』 佐藤謙三校注 角川文庫
 ・『宇治拾遺物語』 中島悦次校注 角川文庫
 ・『御伽草子』 市古貞次校注 岩波書店
 ・『日本伝説集』 武田静澄著 現代教養文庫
 ・『日本伝説集』 高木敏雄著 山田野理夫編 宝文館出版
 ・『昔話・伝説必携』 野村純一編 学燈社
 ・『全国妖怪事典』 千葉 幹夫 編 小学館