昔話では、一寸法師という名が定着しており、別に『小さ子』を主人公とする物語として、田螺長者、田螺息子、親指太郎、竹の子童子などが、近似の物語として挙げられる。
また、瓜姫(瓜子姫)、かぐや姫、桃太郎などとも関連を持つ。
特別な生まれの主人公の代表格で、水神との関わりもいわれている。
<一寸法師>
昔、老夫婦が神に願ってひとりの子供を授かり、あまりに小さいので一寸法師と名付けて育てた。
成長した一寸法師は、針の刀を腰に差しお椀の船を箸で漕いで、都へと川を下る。
ある大臣に仕えることになって、ある日姫のお供で神社に参詣に行くと、鬼が現れて姫をさらおうとする。一寸法師は鬼と戦い、鬼の口から腹の中に入って針で刺したので、鬼は”打ち出の小槌”などの宝物を残して逃げていく。
姫が一寸法師の背が出てくるように言って小槌を振ると、一寸法師は大きく立派な若者となり、法師と姫は結婚する。
もともと、鬼退治の部分は近世になって創られたものらしく、別の形が主流だったようだ。
たとえば、小さ子の主人公は計略をたてて、姫が寝ている間に口もとに米を塗り、米が盗まれたと言って騒ぎ立てる。その結果として姫は追い出されて主人公に与えられる、というような形もある。
また、田螺長者では主人公は田螺の化身で(または本物の田螺)、熱湯にたぎる釜に入れられたり、最後に姫によって杵(きね)で潰されたり踏みつぶされたりして、立派な若者となる。
この杵が、打ち出の小槌という話として理解のしやすい宝物の形にいつの頃か変化したのだろう。
なお韓国では主人公は”ひきがえる”らしく、こうなると、西欧の魔法の呪いによって姿を変えられた主人公が、女性の何らかの行動によって元の姿に戻るといった物語に共通性が出てくるかもしれない。
<出雲の小人物語と一寸法師>
古事記や日本書紀に見られる神話中でも有名な小さな神、<少毘古那の神(すくなひこなのかみ)また少彦名命(すくなひこなのみこと)は、神産巣日御祖命(かみむすびみおやのみこと)または高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の指の間から生まれた、出雲の国造りの神とされている。
この神は蛾の皮を服にしており、手の平に乗るほどの大きさだったといわれ、粟の茎にはじかれて常世の国に去っていったとされる。
またもうひとりは、日本書紀の雄略天皇の少子部すがるの条に登場する少子部すがる(ちいさこべのすがる)だ。
雄略天皇の命令で三輪山の神の化身である大蛇を捕らえたといわれる人物だが、”少子部”であり、”すがる”はジガバチやアブのことなので間違いなく蜂のように小さな人を示している名だろう。
三輪山の神は出雲系統の神のオオモノヌシで、オオナムチが祀ったとされている。スクナヒコナがオオナムチと共に出雲の国を造ったとされているところから考えると、チイサコベノスガルはスクナヒコナと関係が深いと思われる。
またスガルは蜂だが、蜂と蛇というのは出雲系統の物語によく見られ、特にオオナムチとも深く関わる、物部一族の宝といわれる十種の神宝(とくさのかんだから)における、蛇のひれ、蜂のひれが有名だ。
また、オオナムチとヤガミヒメとの間の子供が、木の股に挟まれて放置される点は非常に興味深い。
出雲においては、蛇は水神(海神、もしくは山神)で、またスクナヒコナが船に乗って海からやってくることから考えると、一寸法師のルーツはこのあたりなのではないだろうか。
また直接的な関連がないとはいえ、一寸法師が縫い針を帯剣するのは蜂を連想させ、川を下る部分もある。
また打ち出の小槌を振るという行為はタマフリとも呼ばれ、振ることによって神聖な力を発揮するというもので、十種の神宝も振ることによって様々な力を発揮すると伝えられている。
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