日本神話の概略
(文:JDさん)
世界のあらゆる民族が「神話」というものを持っているとおり、この日本にも固有の「神話」が存在しています。でも日本の神々で誰もが思い出すのは、天照大御神くらいで、その他の神々の名前や逸話について、知る機会は少ないことでしょう。正月になると、たいていの人はどこかの神社に参拝に行きますが、行った先の神社に、どんな神様が祭られているのか、そんなことを気にしながら初詣する人も稀かと思います。そこで、ここでは日本の神話について、簡単に説明していきましょう。
1.日本神話を伝えるもの
多くの場合、日本神話は、『古事記』、『日本書紀』のふたつの古典に書かれた説話の事を指します。『古事記』は奈良時代712年に、元明天皇の命によって、稗田阿礼と太安麻呂が書いたものです。神代における世界の始まりから、推古天皇(592年即位)頃まで書かれています。『日本書紀』は720年に、太安麻呂と舎人親王が書き、元正天皇に上梓されました。同じく神代における世界の始まりから、持統天皇(697年即位)頃まで書かれています。『日本書紀』では、世界の始まりから神武天皇に至るまでを「神代」つまり日本の神々が活躍した時代としています。神武天皇はニニギノミコトの孫であり、ニニギノミコトは天照大御神の孫なので、日本神話では、神と人の境目がはっきりしていないことが特徴であると言えます。ただ、教科書において最初に登場する天皇は応神天皇(413年に中国に使いを送ったと推測されている)からで、それ以前は神話上の天皇とされています。
『古事記』は、もともと天武天皇が、宮中の祭儀を司る猿女君の稗田阿礼に対して、「各家に伝わる諸伝には、偽りや誤りが多いと聞く。これを正し、真実の歴史を後の世に伝えよう」と言った事から制作が始まったことが書かれています。これは逆に言うならば、各家に伝わる神話を、天皇家にマッチしたものに改竄しようという意味にもとることができます。真偽はともかくとして、この『古事記』を編纂したことによって、事実上、天皇家は現代に至るまで、日本の祭儀的支配者でありつづけたわけです。
『古事記』も『日本書紀』も、大筋には変わりありませんが、細かい部分で微妙な違いや、一方にしか出てこない神などあります。『日本書紀』は「一書に曰く」として、ひとつの説話の諸説をいくつかあげているので、両書を比較して読んでいくと、より深く知ることができます。
こうした『古事記』や『日本書紀』というものは、天皇家によって編纂された、いわば国書です。当然のように、天皇家によって編纂されていない神話・歴史書というものも存在しており、そういった文書が江戸末期から昭和初期にかけて、次々に発表されました。ただし、多くは偽書と診断されています。ここでは、これらが偽書であるかどうかは問題としません。これは、ミルトンの『失楽園』が創作であるとわかっていながら、堕天使に関する一級資料となっていることと、同じ理由による判断です。これらの文書をまとめて、ここでは「古史古伝」と呼ぶことにします。代表的なものとして、『竹内文書』、『九鬼文書』、『富士宮下文書』、『上記』、『秀真伝・三笠紀』、『東日流外三郡誌』、『物部文書』、『安部文書』、『カタカムナ文書』、『天書』、『先代旧事本紀大成経』などがあげられます。
大筋は『古事記』と同じものも多いのですが、よりダイナミックに語られている事が特徴です。特に『竹内文書』は、古代の天皇が全世界を統治していたという、グローバルな古代史であることは有名です。また、『東日流外三郡誌』には、正史では扱われない、東北地方の古代文化を取り上げているなど、地方をクローズアップした面もあります。
その他、日本各地に建てられた神社にも、それぞれ奉っている神格があり、社伝があります。神社が国に統括されたのは、平安時代に律令国家体制が整ってからで、『延喜式』の中の『神名帳』の中に、各地の神社が記されました。現在ではこの『神名帳』に記された神社は、「式内社」と呼ばれ、格の高い神社だとされています。ただ、千年前のものなので、現在では確定できない神社も多いそうです。現在の神社が国によって統括されたのは、明治時代になってからのことです。それまでの間、日本の神道は仏教勢力におされ、日本の神々は仏が化身したものだという、「本地垂迹説」が主流になっていました。明治政府は神武天皇時代の祭政一致を目指し、神仏分離を宣言し、国家神道を築くべく、各神社を伊勢神宮を中心として統括したわけです。ただ、この時、各地の神社が申告した、奉る神格が、必ずしも古来より伝わっていた神格とは限らないという話しもあったりします。
このようなもの
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