第7代の天皇とされる、孝霊天皇の子。
他に、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)、大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)と呼ばれる。
吉備は、広島県東部から兵庫県中央部にかけての地域を指す、古い地名。
古事記、日本書紀の第7代孝霊天皇から第10代崇神天皇の時代にかけて登場するため、西暦200〜350年頃に実在した、吉備地方の支配者ではないかといわれている。
キビツヒコという呼び名が一般的だが、これは単なる”吉備の男”や”吉備の支配者”を表す呼び名で、他に”吉備冠者(きびのかじゃ)”とも呼ばれる。
その弟は、若建吉備津日子命(わかたけるきびつひこのみこと)または、稚武彦命(わかたけひこのみこと)で、後世に一族を残している。
孝霊天皇以降の時代に、当時吉備を支配していた温羅(うら)を討ち、吉備の支配者となったとの伝説がある。
日本書紀には、崇神天皇が北陸(くがのみち)、東海(うみつみち)、西道(にしのみち)、丹波(たにわ)へ、四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の軍をそれぞれの地方に派遣したとあり、その内の西道の将軍が吉備津彦命だったとされている。その任で、大阪の反乱鎮圧にあたった後、出雲へ遠征したとある。
吉備津神社につたわる釜鳴神事の縁起で、温羅と共に広く知られている。
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