『ルカによる福音書』において、イエス・キリストに七つの悪霊を追い出してもらったという女性の名前。イエス・キリストや十二使徒らとともに、宣教の旅を続けた。『新約聖書』の各福音書では、イエス・キリストが十字架にかけられ処刑された時、その様子を見ていた女性たちの筆頭として描かれている。中でも、『マルコによる福音書』及び『ヨハネによる福音書』では、復活をはたしたイエスは、まず最初に、イエスの墓を覗きに行ったマグダラのマリアの前に姿を現したと記している。マグダラのマリアはイエスが復活したことを、使徒たちへ伝えに行ったが、誰も信じなかった。ここの様子はグノーシス異端書『マリア福音書』に詳しく書かれており、イエスが死んだ後、使徒たちが嘆き悲しんでいるところに、マグダラのマリアがやってくる。ペテロはマグダラのマリアに、「あなたの覚えているイエスの言葉を私たちに話して欲しい」と促した。すると、マグダラのマリアは、たった今見た、イエスの幻視の事を語り始めた。驚いたペテロとアンドレは、そのマグダラのマリアの言葉を信じず、非難した。仲介に入ったレビがペテロに言う、「イエスが彼女をふさわしいものとしたならば、彼女を拒むあなたは、何様なのか」と。『救い主の対話』では、他のものすべてに勝る使徒としてマグダラのマリアを賞賛し、「万物を知る女」としている。グノーシス主義において、マグダラのマリアは十二使徒よりも、はるかにイエスに近く、その奥義を授かった女性とされ、『トマスによる福音書』などでも、あまりにイエスの近くにいるマグダラのマリアに対して、ペトロが嫉妬を抱くシーンが書かれている(ペテロはカトリックの始祖とされる使徒である。故に、これをグノーシス主義のカトリック批判とも言われている)。また、『ピリポ福音書』では、イエスの伴侶とされ、イエスはマグダラのマリアを他のどの弟子よりも愛し、しばしばキスを交わした事が書かれている。こうしたことから、マグダラのマリアはイエス・キリストの恋人だったのではないかと言われている。
マグダラのマリアの生涯について詳しい事は、ヴァラギオンの『黄金伝説』に書かれている。マグダラのマリアはシルスとユーカリアの娘で、王家の血筋をひいていた。彼女と弟ラザロ、姉マルタは七つの城、ベタニヤの村、エルサレムの大半を所有していた(ラザロとマルタと、ベタニヤのマリアは『新約聖書』の各福音書にも登場する。ここではベタニヤのマリアと、マグダラのマリアが混同視されている)。マリアはガラリヤ湖畔のゲネサレから一マイル離れた、マグダラに住んでいた。マリアはヨハネと婚約をしていたのだが、ヨハネはイエスの使徒となり、イエスについて行ったので、婚約は破棄されてしまった。深く傷ついたマグダラのマリアは、ふしだらな生活を送り、七つの悪霊にとりつかれてしまう。その七つの悪霊をイエスが祓い、二人は親しい関係となる。イエスの死後、マグダラのマリアは、イエスの母マリアと十四年間すごしていた。その後、ユダヤ人たちによって帆の無い船に乗せられ、流刑にされてしまう。船は南フランスのマルセイユにつき、そこで彼女は宣教をはじめた。晩年が近づくと、自らサント・ボームの洞窟に入り、そこで生涯を閉じた。なお、マグダラのマリアの遺体は、その後、サン・マキシマンの地下納骨堂に移された。現在、聖マリ・マドレーヌ教会には、彼女のものとされている頭蓋骨が保管されている。南フランスの伝説では、イエスとマグダラのマリアの子が、メロディング王朝の祖となったという。かのレンヌ・シャル・トーの教会は、マグダラのマリアを奉じたものだった。
マグダラのマリアは、「ふしだら」を人々に咎められた事から、「悔い改めた娼婦」というイメージで語られる事が多い。1224年に改心した娼婦のために各地で特別の修道会が創設され、「マグダラのマリアの館」と名づけられた。こうした「マグダラのマリア=娼婦」というイメージは、イシュタルやアロフディーティといった、キリスト教以前の愛の女神たちが、娼婦と呼ばれた事に由来しているのかもしれない。グノーシス主義でマグダラのマリアがもてはやされたのは、グノーシス神話の女神ソフィアもまた、「娼婦」と呼ばれたからである。マグダラのマリアとは、原始キリスト教が失った、女性原理そのものと言えるかもしれない。
なお、ピェール・ジュネルの『聖人略伝』を見るに、現在ではイエスの復活を人々に伝えた女性として、地位を回復している。マグダラのマリアの記念日は、七月二十二日とされている。
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