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ミヤズヒメ ( ミヤズヒメ ) 英名:

 地 域: 日本
 テーマ: 一般
 種 別: 名前

 『熱田祠官略記』、『日本書紀』などによれば、彼女は尾張国造(おわりのくにのみやつこ)の祖である。ヤマトタケルは東征の帰路、彼女の元へと帰り、結婚した。その後、尊は草薙の剣を彼女へ預け、伊吹山の神を退治しに行くが、再び戻ることはなかった。ミヤズヒメは、生涯独身を通す。託された神剣と尊への思いが、彼女のその後の人生を支えたのだろう。

 『古事記』の記述によれば、ヤマトタケルは結婚の為に姫の家(尾張国愛智群氷上邑の建稲種命の館)へと入った尊は、家人に大御食・大御酒づきなどを献上される。その時、姫の服の裾に月経(つきのさはり)が付いていたのを見て、次のような歌を詠んだ。そして、姫の返しの歌が続く。


  ひさかたの 天の香山
  利鎌に さ渡る鵠、
  弱細 手弱腕を
  枕かむとは 吾はすれど、
  さ寝むとは 吾は思へど、
  汝が著せる 襲の襴に
  月立ちにけり。


  高光る 日の御子
  やすみしし 吾が大君、
  あら玉の 年が来経れば、
  あら玉の 月は来経往く。
  うべなうべな 君待ちがたに、
  吾が著せる 襲の襴に
  月立たなむよ。


 意味としては「あなたと一緒に寝ようと思ったのに、あなたの衣の裾に月が出ているよ」と尊が歌い、「年が来て過ぎれば、また新しい月も来ては過ぎて行くでしょう。あなたを幾年も待っていた私の着物の裾に月が出るのも当然でしょう?」と答え、二人は結婚したのである。

 『尾張風土記逸文』『熱田大神宮縁起』にはもっと詳しい話が記されている。熱田神宮に草薙の剣が祀られているのは有名だが、この他にも「五座の大神」と呼ばれる、アマテラス・スサノオ・ヤマトタケル・ミヤズヒメ・タケイナタノミコト(建稲種命)が祀られている。
 建稲種命は、ミヤズヒメの兄である。尊とミヤズヒメの出会いは、彼の手によるものだった。彼は尊の東征の際、尾張水軍を率いて参加している。東征の最大の問題は、尾張氏の動向だった。陸軍は、多数の将が参加していて強力だったものの、水軍は貧弱で、尾張氏に頼る他無かったのだ。建稲種命は快く頷き、副将軍として参加する。
 建稲種命は、妹のミヤズヒメを尊の妃にしようと働きかけた。いわゆる政略結婚である。皇室の血縁となる事によって、尾張氏の地位を格付けしようとの思惑だったのだろう。
 彼は優れた武将で、数々の武功をあげるのだが、甲斐国で尊の軍と別れた後、駿河の海で命を落とす。突然の悲報を聞いた尊は、大変嘆いて建稲種命の霊を弔った。それが、「内内神社(愛知県春日井市)」の起源であるという。
 そして冒頭で述べたように、尊は彼女の元へと帰ってくる。この時彼は、かなり長期間この地に滞在したという。やがて死の運命が待っていた尊は、ミヤズヒメとどんな会話をしたのだろう。最も大切にしていた神剣を彼女へ託していったのは何故なのだろうか?

 ニギハヤヒノミコトに始まる名族尾張氏、そして非業の死を遂げた建稲種命への義理もあったのだろう。しかし、政略結婚を機に知り合った二人は、いつしか惹かれ合っていたに違いない。だからこそ、自分自身ともいえるこの剣を、彼女へと託したのだ。
 近江国伊吹山で病を得、伊勢能褒野で命を落とした尊。『古事記』には、その時の歌が多く記されているが、最後に呟かれたのはミヤズヒメへの思いを込めた歌だった。


  孃女 床の辺に
  吾が置きし つるぎの大刀、
  その大刀はや。


 『熱田祠官略記』によれば、ミヤズヒメは「成務天皇5年9月、勅により、尾張国造となった」という記録がある。父と兄を亡くし、彼女はたった一人、この地で草薙の剣を守り続ける決心をしたのだろう。彼女は、神剣を守るために一つの神社を建てた。そこの楓木一本が自然に燃えだした事から、その地は「熱田」と名付けられた。それが、現在の熱田の地に鎮座する熱田神宮の由来である。
 死後、彼女を祀る一つの神社が建てられた。それが、熱田神宮の境外摂社「氷上姉子神社(名古屋市緑区)」である。

【赤と白のシンボリズム】
 ヤマトタケルとミヤズヒメが結婚した場面について、『世界の神話をどう読むか』(青土社)に興味深い解説がある。ヤマトタケルがミヤズヒメの打ち掛けに血が付いてるのを見て、歌を交わした後、『古事記』には「かれここに御合ひしたまひて・・・」と続く。この詩の意味について、大林太良さんは「それにもかかわらず」ではなくて「だからこそ」交わったのだと語っている。つまり、ミヤズヒメが月経であったからこそ、彼は交わって結婚したのだろう。
 このような、月経の日に交わると子供が出来るという考えは、世界中で多く見られる。ブラジルのカシナワ族の神話でも、男の精液が女性の体内で血と混ざって白い子供が産まれるという伝説がある。「父親から白い精液が入り、母親から赤い精液が入って、両方が合体して子供が出来る」という構成要素は、ユダヤなどにも見られる。したがって、赤い物が出る日にこそ交わるべきだという考えが古代にはあったのだ。勿論、実際には出来ないのだが。
 赤と白のイメージは恐らくイデオロギーの先行ではないか、と著書の中では結ばれているが、ミヤズヒメの「赤」というイメージは女性であるというだけでなく、常に付きまとう「火」のイメージも表しているのではないだろうか。

【ミヤズヒメの実在性】(整理中)

・『古事記』は、ミヤズヒメを尾張国造之祖と。『日本書紀』は尾張氏の女と記す。いずれも系譜上の位置づけは不明であり、ヤマトタケルとの接点だけに見られる。

・尊の、草薙の剣を置いて行くというのは不可解。伊吹山は尾張一族五百木部氏が奉祭する神を素手で捕らえようとして皇族を死に至らしめるという物語は、どうも「壬申の乱」における尾張氏の怨念が見え隠れする。

・尾張国吾湯市群『火上天津開始本伝』によれば「小止女命・またの名をミヤズヒメ。すなわち尾張国造」という記述がある。

・実在性は怪しいが、物語に潜在化しているいくつかの伝説を昇華させたもの。4世紀後半における尾張一族の巫女の投影ではないか。

・氷上姉子神社に隣接する「兜山古墳」(名和町)は、三神三獣鏡、管玉144個、六神鏡他を出土。4世紀後半にはすでに大和朝廷の傘下に組み入れられていたのだろう。被葬者は、恐らく尾張史入国以前の海部族知多氏の巫女であると思われる

【尾張史と大和朝廷との関係】(整理中)
・失史八代の頃、5代考昭天皇に「世襲足姫」を妃に入れ、6代孝安天皇を生ませる。

・4、5世紀の「倭の五王」の時代の事とされている。6世紀に尾張が畿内大和政権と密に関係し、尾張連の女「メコヒメ」が継体天皇の王妃となり、安閑・宣化両王を生んだことによって、尾張の中央における有利な状況が生じたことによる。丹羽の県主もまた、東征の一端を担っていたのだろう。

・672年の壬申の乱では、天智天皇の弟である大海人皇子が天智の子である大友皇子との継承争いから吉野を脱出し、伊賀・伊勢をへて美濃不破関にいたった。そこで、尾張国の小子部連サヒチが2万の兵を率いて合流した。それが、大友皇子を破り勝利する大きな要因となった。乱後、サヒチは謎の自殺を遂げてしまう。
 皇位についた大海人皇子(天武天皇)は、4年後の新嘗祭に際して尾張山田郡を占い定め、祭りに用いる新穀を献上させた。
 また684年には、身を寄せた伊賀・伊勢・美濃と並んで、尾張の調役(調と労役)を免じている。

【氷上姉子神社】
 名古屋市緑区大高町、火上山と呼ばれる丘陵地に鎮座するのがミヤズヒメを祭神とする氷上姉子神社(ひかみあねご)である。境内末社に、神明社はアマテラス、玉根社にスクナヒコナノミコト。境外末社に、朝苧社は火上老婆霊を祭る。
 近世『寛文覚書』には、「社内地四町二反九畝歩、氷上大明神」と記されている。また代々の宮祠久米家の記録『氷上宮御社立』(室町期)によれば、神仏習合の状況も示され、文明14年の記述によれば「本社宮簀媛 本地聖観音」以下35社が記されている。神宮寺・薬師堂・阿弥陀堂などがみられた。
 鎮座している「大高町火上山」の地名についてだが、古くは「火高火上(ほだかひかみ)」と称していた。所が、神社及び周辺の民家がたびたび火事に見舞われ、それまでの地名の「火」の字を忌んで、「大高氷上」と改めたといわれている。尚、現在地名の方は元の火上山と戻されている。
 次に「姉子」という名についてだが、『尾張国熱田大神宮縁起』に、ヤマトタケルが東征の帰路、甲斐国の坂折宮でミヤズヒメを恋い偲んで詠った次の歌が由来とされている。

 年魚市潟 火上姉子は 我れ来むと
 床去るらむや あはれ姉子を

 氷上姉子神社は現在も、「お氷上さん」と親しく呼ばれ、尾張氏の祖神として地元はもとより地方一円の信仰を集めている。
 陰暦5月6日、頭人祭が行われる。神前に鷹の絵と粽を献供。古くは、2月末日放鷹勢子の神事があった。現在はそれが出来ないため、鷹の絵を献供している。由来は不明。近世以来、馬の塔・花車などが出て賑わっている。

【斎山稲荷社】
 氷上姉子神社の南約400m、斎山と称する高台に鎮座するのが斎山稲荷社(イツキヤマイナリ)である。祭神はヤマトタケル・ミヤズヒメ・倉稲魂命。1641年(寛永18年)、倉稲魂命を祀ったのにはじまるという。
 
【萱津神社】
 愛知県海部郡甚目寺町に鎮座する古社。祭神は鹿屋野比売神。日本で唯一の漬け物を祀る神社として有名。そして、ここにもミヤズヒメの伝説が残っている。
 萱津神社(かやつ)の中には、「連理の榊」と呼ばれる、頭上で仲良く手を繋いでいる二本の榊がかつてはあった。伝説では、ヤマトタケルは伊吹山で瀕死の傷を受けた後、姫の元に戻ってきたという伝えがある。しかし、姫はその時里へと帰っていて彼は出会えなかった。それを悔いて、後世に生まれる者達が、きっと愛する人に逢えるようにと、2本の木を植えて、この地を去っていったのだ。そして、彼は二度と帰ることはなかった。

項目情報

 作成者:Akihiro Endo
 作成日:
 更新日:2005-02-14 00:00:00

参考文献
 ・『古事記祝詞』 日本古典文学大系1(岩波書店)
 ・『日本書紀上・下』 日本古典文学大系67・68(岩波書店)
 ・『日本神話事典』 監修…大林太良 吉田敦彦(大和書房)
 ・『日本の神様を知る事典』 阿部正浩(日本文芸社)
 ・『新訂 古事記』 武田祐吉 訳注 / 中村啓信 補訂・解説(角川文庫)
 ・『神話の森』 山本節(大修館書店)
 ・『神社辞典』 白井永二・土岐昌訓 編(東京堂出版)
 ・『神社』 岡田米夫(東京堂出版)
 ・『歴史読本第33巻第3号』(新人物往来社)
 ・『ヤマトタケル』 森浩一・門脇禎二 編(大巧社)
 ・『日本武尊』 上田正昭(吉川弘文館)
 ・『古代日本正史』 原田常治(同志社)
 ・『世界の神話をどう読むか』 大林太良・吉田敦彦(青土社)
 ・『図説愛知県の歴史』 林英夫 編(河出書房新社)
 ・『名古屋史跡名勝紀要』 名古屋市文化財調査保存委員会(泰文堂)
 ・『愛知県の地名』 日本歴史地名大系23(平凡社)
 ・『愛知百科事典』 (中日新聞社)
 ・『名古屋南部史』 (臨川書店)
 ・『熱田神宮名宝図録』 (熱田神宮)
 ・『愛知県地名大辞典』 (角川書店)
 ・『尾張史』 尾藤卓男(林田印刷株式会社)
 ・『愛知県の歴史』 (山川出版社)

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