鬼退治で有名な、忠孝勇武、勧善懲悪などをうたう昔話の主人公。
植物から産まれる小さ子として、竹姫、瓜子姫などと関連を持ち、また水辺から発見された子供が富をもたらす、水神小童に通じている。
原話の形成は室町以前と考えられており、滝沢馬琴は『燕石雑志』の中で、鎌倉時代初期に書かれた『保元物語』の為朝の鬼が島渡りを擬して桃太郎の鬼ヶ島征伐の物語が成立したと考察している。志田義秀は『日本の伝説と童話』の中でそれを受けて、為朝が鬼が島に渡ったときに昔鬼だった島人が今では島に宝がないと言っていることから考えて、おそらく鬼ヶ島宝取伝説は『保元物語』の成立した頃にすでに存在したのだろうと書いている。
それ以前の口承によった桃太郎話の原流は、さかのぼることが難しい。
桃太郎話が一般に広く流布したのは江戸時代中期になってからで、庶民的な絵入りの物語本だった草双紙の中でも特に赤本と呼ばれた通俗本によるところが大きい。また、お供の部分において同時期流布した『猿蟹合戦』との混合が見られる場合もある。
桃太郎と、キビダンゴをもらい共になる者たちとの関係は、”ご恩と奉公””恩賞と忠誠”などを表しているともいわれている。儒教的な思想から犬・猿・雉は仁・智・勇の象徴だともいわれる。
日本神話中の人物、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が鬼退治の英雄としての原型だともいわれている。
<現在一般的な桃太郎のあらすじ>
川上から流れて来た桃を婆が拾って持ち帰ると、中から男の子が生まれる。
桃太郎と名付けられたその子は、成長するとキビダンゴをもって鬼退治に発ち、途中キビダンゴを与えて犬、猿、雉を仲間にして鬼を退治し、宝を持ち帰る。
なお、初期の赤本では現在一般的な桃太郎が桃から生まれる果生型ではなく、桃を食べた老夫婦が若返り桃太郎が生まれるという若返り型が多い。この変化のはっきりした理由は定かではないが、桃太郎話が主に子供向けに変化していったこと、また桃から子供が生まれるという形が絵入り物語として都合が良かったことなどが考えられる。
その後、桃太郎話は子供向けの教材や童話として、様々な主義思想に染められた話形を生みつつ、現在の形に落ち着いた。
<桃太郎と吉備津彦命>
桃太郎と吉備津彦命との純粋な関連は、鬼と呼ばれていた温羅(うら)を吉備津彦命が退治したという、いわゆる鬼退治の話のみとなっている。(吉備津彦命と温羅の項目参照)
他に桃太郎が携えるキビダンゴもその音から共通性が考えられるが、もともと初期の桃太郎話では、とう団子(十個を連ねた団子)・黍団子・吉備団子・黄実団子・黄薇団子などと書かれていて、団子はひとつに統一されていなかった。
加えて江戸時代後期に見られるキビダンゴが商品化されたという記録から考えて、現在岡山県の銘菓となっている吉備団子は、少なくとも江戸に入ってから成立したものと考えた方がいいだろう。
その意味では本来、キビダンゴは吉備津彦命と桃太郎の共通性を示すものではない。
また、吉備津神社の社記では、吉備津彦命は家来として犬養健命(いぬかいたけるのみこと)、楽々森彦命(ささきもりひこのみこと)、留玉臣命(とめたまのおみのみこと)の3名を従えていたとされている。この3人は役職また別姓で、順に犬飼部、猿飼部、鳥飼部だったともいわれている。
しかし吉備津彦と温羅の伝説の詳細が全く桃太郎話に反映されていないことから考えて、これらは後世の故事つけと判断される。
<五行による回春の桃太郎>
桃太郎話は昔話やおとぎ話と位置づけられているものの、その構造において五行、また陰陽五行説と呼ばれる思想に深く関わっている。
五行とは、万物の組成を”木火土金水”の5つの元気(元素)とし、法則また思想のことで、陰陽の思想と併せ陰陽五行説とも呼ばれる。それは以下の表のように物事に当てはめられる。
五行対応表 | | 五行と十二支 |
| 木 | 東 | 春 | 青 | 李 | 麦 | | 火 | 南 | 夏 | 赤 | 杏 | 黍 | | 土 | 央 | 全 | 黄 | 棗 | 粟 | | 金 | 西 | 秋 | 白 | 桃 | 稲 | | 水 | 北 | 冬 | 黒 | 栗 | 豆 | ※”土”の季節は”土用”とも。 | | | | 北(水・冬) | | 西 (金・秋) | | 子 | | 東 (木・春) | | | 亥 | | 丑 | | | | 戌 | | 寅 | | | 酉 | 央(土・土用) | 卯 | | | 申 | | 辰 | | | | 未 | | 巳 | | | | 午 | | | | 南(火・夏) | | ※干支は各季節にも対応するが、季節の変わり目を土用に配当すると辰・未・戌・丑は土に対応する。 |
左の表にあるように、桃は五行の”金”に対応する果実だ。そして右の表にあるように、”金”に対応する方位は西で、その方位に対応する干支は、戌・申・酉となる。
つまり桃太郎のお供となる犬・猿・雉は、桃太郎の桃と五行の”金”で明確に繋がっている。
古来から中国では、桃には神聖な力があるとされていた。神仙思想に関連する書物に多く登場するいわゆる”仙桃”は、食べれば力が湧き長寿になるとされている。特に西王母の桃は王母桃と呼ばれ非常に有名だ。
『大唐三蔵取経詩話』では西王母の桃は人の子だったとされ、『西遊記』においては人参果と名を変えて登場し果実が人間の子供にそっくりだったとされている。なお『西遊記』では、西王母の桃を盗むなど悪事をはたらいた孫悟空は五行山の下に閉じこめられる。
前述のように実際江戸の頃の桃太郎では、川から流れてきた桃を拾って食べた婆が若返り、桃太郎を生むという形があった。桃太郎に登場する桃は、仙桃としての特別な力を持ち、回春をもたらす物との認識が当時あったのだろう。少数だが西王母が夢に現れて桃を授けるという桃太郎話も、江戸時代に存在した。
西王母はその名の通り西の支配者とされる神仙で、五行の”金”に対応して桃や犬・猿・雉に関連しているのだと考えられる。
西王母は西の果てにある巨大な丘また塔とされた崑崙に住んでいたとされ、そこに桃園があったとされるが、これと対応するのが東の果てに立っていたとされる桃の巨木だ。
桃の木を頂いていた度朔山については五行に詳しい書物だった『論衡』において、中国の春秋戦国時代に書かれたともいわれる『山海経(せんがいきょう)』に次のようにあったと、引用されている。
<山海経にはまた、「東海の中に度朔山(どさくざん)がある。頂に大きな桃の木があって、三千里にも渡って蟠屈しており(渦を巻くように曲がりくねっており)、その枝の間の東北を鬼門といい、多くの鬼が出入り口となっている。頂には二人の神が居て、ひとりを神茶(しんと)、ひとりを鬱壘(うつりつ)といい、悪鬼を調べ取り締まる役目を負っている。害をもたらす鬼を葦の縄で捕らえて虎に食わせる。このことをもとにして黄帝は礼の決まりを作り時々これを払い、桃の木でつくった大きな人形を門戸に立て、門に神茶と鬱壘そして虎を描いて葦の縄をかけ、凶悪な物の精鬼を防いだ」と。>
この度朔山伝説は中国で魔よけや厄払いに使われた桃符や桃弧、また日本の宮中で行われた追儺(鬼やらい)の行事で鬼を射るのに用いられるの桃の弓と葦の矢の、辟邪辟鬼の力の由来だと考えられている。
大桃木は鬼を生む門をその枝に持ちながら、同時に鬼を遮る鍵としての役割も果たすということだ。
陶淵明の『桃花源記』にかかれた理想郷”桃源”へ至るにも、桃の林を抜けるとされており、桃は現世と異界との繋がりも示すと考えられていたのだろう。
日本神話のイザナギがイザナミを追って異界とされる黄泉へ行き、結果的に逃げ帰る呪的逃走神話においても、3つの桃がイザナギが黄泉から無事逃げ出るために使われる。
そして、現在節分として民間にも名残のある”追儺(ついな)”また”おにやらい”は、大晦日に行われていた行事で、新しい年を迎えるために悪鬼を払い疫病や災難を除く儀式だった。この時に、災厄の具現である鬼を葦の矢で射るための弓には、桃の木が使われていた。
また、現在雛祭りとなっている桃の節句は、もとは上巳(じょうし)といわれ、身代わりの人形に穢れや災厄を乗せて水に流すというような行事だった。現在でもまた、桃の花の咲く春を祝う行事で、桃の花を浸した酒(一般的に甘酒)を飲むことで百の病を除くといわれている。
この2つの行事は、旧年から新年へ、冬から春へと移り変わる時節の境目での行事で、同じように厄払いの儀式だ。どちらにおいても桃はその辟邪の力を発揮して、災厄を取り除く役割を負っている。
度朔山の大桃木は東北の枝に鬼門をもっていたとされていたが、上記の右図のように五行では東北の方位は、ちょうど冬と春の境目となる。この冬が去り春が訪れるのを丑寅の鬼門で邪魔するのが、災厄としての五行の鬼だ。そして春に花を咲かせる桃は、この災厄の鬼を祓い回春をもたらす、春の訪れの象徴だ。
つまり、神聖な力を持つ桃の実から生まれる桃太郎が、桃を象徴する犬・猿・雉の力を借りて、穢れであり災厄の源である鬼を退治し春の恵みをもたらすというのが、桃太郎話の命題うちのひとつだといえるだろう。
桃による回春の効果と同じ五行の金に配当されるお供、そして鬼門を抑えるとされた桃の辟邪の力などは、間違いなく五行説と直結している。
この五行説によって完成させられた桃太郎は、桃太郎話のある一形態と考えるべきで、全ての桃太郎の物語がこれに類せられるものではない。
しかし少なくとも、論衡で引いた山海経に書かれた度朔山伝説と、西王母の仙桃伝説の血を引き五行説を基にした桃太郎は、回春を題材にとった日本産の創作童話だ。
<追記>
なお、丑寅つまり東北の方角と対になる南西の方角を示す干支が、猿、雉、犬のお供として選ばれたとも言われている。しかし戌の示す方角は西北であるのだから、南西の方角を元にしてお供を選ぶならば、南を示す干支である午(馬)がお供に加わるのが本筋のはずだ。加えて鬼退治という遠征のお供としては、どちらかといえば馬の方が自然と思われ、ここで南西の方位とかけ離れた犬を選ぶのは、特別の理由があったからに他ならないだろう。犬が選ばれた理由を、古代から人類に親しい存在であったからなどと説明する向きもあるが、それは理由としてあまりにも薄弱だ。
また鬼門が陰の方位で南西が陽の方位だとする説もあるが、陰陽思想の観点からいうと、北西の方位で10月にあたる亥(猪)が極陰となり、丑寅の方位は特別に陰が強いわけではなく、逆に冬から夏へ陰から陽への陽の季節となる。鬼門の由来とされる大桃木が、五行説で春に相当する東の方位に立つとされていることから考えても、鬼門の方位は元来陰の方位ではない。
なお参考までだが、大吉備津彦命の弟、若建吉備津日子命の子孫で奈良時代の人である吉備真備(きびのまきび)が指導したとされる用兵の陣立てに、”五行”というものがあったとされている。