火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を生んだ事によって命を落としたイザナミ。最愛の妻の死を目の当たりにして、イザナギは号泣した。泣沢女とは、その涙から生まれた神である。「さわ」とは、水の流れを表していると考えられる。水神として祭られている。
泣沢女神について『万葉集』に、「哭澤の神社に神酒すえ祷祈れどもわご王高日知らしぬ」(巻2 202)とある。死者の復活を哭澤の神に祈ったが、皇子は死んでしまった、というのが大意である。この哭澤の神社とは畝尾都多本神社であるとされる。この社は『古事記』火神被殺の項に「御足方にはらばひて哭し時、御涙に成れる神は、香山の畝尾の木の本に坐して、哭澤女神と名づく。」とある。この神は、イザナミの死の際に生まれた神であり、死の儀礼と深い関係が考えられる。具体的には、哭礼であり招魂の呪術である。試みに手元にある『神話伝説事典』で引いてみると、「魂の呼び返しと生命の保全を祈る神なのかも知れず、またそうしたタマフリの行法を行う巫女の神格化かも知れない。」とある。また、畝尾都多本神社の御神体は井戸そのものである。フレイザーの『金枝篇』の中に、ネミの森の中にはエーゲリアの聖なる泉がありその泉の水は病人の癒しに用いられた、との記録があったと記憶している。万葉集の歌から考えて、泣沢女神も「生命の水」を司る女神、即ち、病人の癒しやまた死者の復活を司る神ではなかったか。また、エリアーデは「水」は形を解体し、それに伴って再生をもたらすとしている。
滾々と湧き出る水に、つまり生まれてくるところから女性を想像する。また、そこに生命力を見い出す。この二つの要素から「生命の水を司る女神」信仰を生み出すに至ったのであろう。
ルルド等の聖母マリア伝承と泉の関係、観音信仰と湧水の関係についても同質の物か?この点については自信がない。皆様のお知恵を拝借できれば光栄である。
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