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 ・まれびと :日本
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折口信夫 ( オリクチシノブ ) 英名:

 地 域: 日本
 テーマ: 研究者等
 種 別: 名前

 折口信夫(1887〜1953)民俗学者・国文学者・神道学者。歌人としては釈超空。以上のように様々な肩書きをもつが、私は折口信夫を国学者ととらえたい。この一語で前述した全ての肩書きを言い表わす事ができる。

 折口信夫の著書の中で最もその思想・学問がみてとれるものは『古代研究』(全集1〜3)であろう。これは、大正3年から昭和5年までの発表論文に未発表論文数編を加えて編んだものである。『国文学篇』『民俗学篇』(2冊に分冊)にわけられている。『国文学篇』の冒頭には「国文学の発生(第3稿)-まれびとの意義」『民俗学篇』の冒頭には「妣が國へ・常世へ-異郷意識の起伏」が収められている。これらは、折口信夫の学問を象徴する様な論文である。折口信夫は『古代研究』の「追い書き」の中で、「其は、新しい国学を興す事である。合理化・近世化せられた古代信仰の、もとの姿を見ることである。」としている。これは、折口信夫自身の自己の学問の位置付けであるとも考えられる。また、折口信夫の主な研究テーマは昭和28年に出された文部省提出書類によれば「万葉集の基礎的研究」「日本における霊魂信仰の研究」であり、特に後者が有名である。これは、日本人の精神性の研究であるとも言える。これは、折口信夫自身も言っている通り、国学の精神に近い。この点で本居宣長等の後を継いでいると言う事もできる。

 折口信夫の主要著作が『古代研究』である事は、先に述べた通りであるが、折口信夫の言う「古代」とは、日本史で用いる古代とは異なる。日本史では主に大和朝廷・奈良朝・平安朝のそれぞれの時代を指すが、折口信夫のいう「古代」とは「民俗学の対象である民族の普遍の心意といったものに非常に近いものであることがわかる。折口の言う「古代」は、民族の心意の中に間歇的にもせよ永遠に生き続けるあるものであり、その意味で歴史を超えた存在だったのである。」(『折口信夫事典』)であった。これを日本人の原精神性と言い換えても外れないと思う。折口信夫は古代が、どの時代でも時代を超越して人々の記憶の中に再現される事もあると考えた。折口信夫は民俗の中にそれを多く見、また民俗を「生活の古典」と考え、「古代の顕現」であると考えた。特に後述する折口信夫の最大の功績である「マレビト」論の成立には沖縄採訪したことが非常に大きな刺激となっており、思想の核となり、証明となっている。折口信夫は沖縄の民俗儀礼のなかに「古代」を見い出したのである。折口信夫自身も「琉球の宗教」のなかで、「古事記日本書紀或は、その類いの古書及び最も古代の慣例を維持してゐる階級のしきたりの注釈となる、活きた実例に多く出くはした。それは此まで驚きの目を以つて迎へられてゐた所の、日琉民族の類似の比較説を、遥かに乗り越えてゐた。」と述べている。

 折口信夫の学問は、直感に支えられたといえる。折口信夫はそれを自己の中の「古代の顕現」・「自己の中に古代が再現された」と考えたのであろう。顕著な例が「妣が國へ・常世へ-異郷意識の起伏」の中にみてとれる。「十年前、熊野に旅して、光り充つ真昼の海に突き出た大王ヶ崎野の突端に立つた時、遥かな波路の果に、我が魂のふるさとのある様な気がしてならなかつた。<中略>此は是、曾ては祖々の胸を煽り立てた懐郷心の間歇遺伝として、現れたものではなからうか。」とある。折口信夫はこのような実感をしばしば論文に持ち込んだ。これが、折口信夫の論文に強烈な個性を持たせ、文学的にしている。

 余談ながら、日本民俗学の祖である柳田國男は、折口信夫のこのような点を快く思っていなかったようである。柳田國男の民俗学(後に柳田学・柳田民俗学と呼ばれる。)は、事実や調査報告を積み上げて実証する学問を理想とした。つまり、同じ資料を与えられ、だれが考えても同じ結論に達する学問である。しかし、折口信夫強烈な個性を発揮し、証明を飛び越えて、一気に結論を導きだしてしまうのである。その結論は折口信夫であればこそ導き出せるものなのである。私は、柳田國男が快く思わなかったのは、一種の僻であると考える。柳田國男も、折口信夫と同じように文学的才能に恵まれていた。加えて直感によって物事の本質を見抜く才能にも恵まれていた。折口信夫よりも優れていたかも知れない。しかし、民俗学を科学として成立させるためにはそれは邪魔であった。柳田國男は自分でそれを抑制したのである。それを平気で折口信夫はやってしまっている。これが僻まないはずがない。その柳田國男も、晩年、『海上の道』においてその詩人的直感を発揮するのだが、それについては、別項に譲りたい。

 折口信夫の最大の功績は「日本人の神観念」に「マレビト」の概念を持ち込んだ事である。また、後に折口学と呼ばれる学問大系はこの「マレビト」を中心にして成立した、としても良いであろう。

 「マレビト」とは、「稀に来る人」のことで、「時を定めて外界から訪れ、予祝などを行う存在である。」折口信夫自身は「まれびととは何か。神である。時を定めて来り、臨む大神である。(大空から)あるいは海のあなたから、ある村に限つて富みと齢とその他若干の幸福とを齋して来るものと、その村の人々が信じてゐた神の事なのである。」とのべている。マレビトの具体例は、日本神話中ではスサノヲが挙げられる。スサノヲが高天原から追放される段の『日本書紀』には「スサノヲが簑をつけて宿を諸神に乞うた」とある。また『備前国風土記』逸文の「蘇民将来」譚でもスサノヲが最終的に「自分はスサノヲである」と告白している。民俗行事では、秋田県のナマハゲ、沖縄県のマユンガナシが挙げられる。これらは仮面や簑をつけた神が遠くからやって来て家や人々に祝福を与える、という即興的な行事であり、青森から沖縄まで広く分布している民俗儀礼である。これらのマレビトは『備前国風土記』逸文の「蘇民将来」譚でも明らかなように厚く歓待しなければ祟るとされ、歓待すれば幸福をもたらした。大師講という行事の際に訪れるとされた「ダイシ様」も同様である。

 折口信夫はこのような「マレビト」の故郷として「常世」という他界を想定し、そこから「マレビト」が訪れ、幸せをもたらすという構造に日本の古代信仰の根源を認めたのである。さらにはこのようなマレビトが訪れた際に語る来歴や祝言のなかに「文学」の原初的形を見た。これを整理すると、「マレビト」の故郷と言う観念から「他界観」が成立し、「マレビト」の口上から「文学発生」が成立している。私が先に「後に折口学と呼ばれる学問大系はこの「まれびと」を中心にして成立した、としても良いであろう。」と述べたのはこのためである。

 以上のように、折口信夫はその詩人的直感によって日本人の古代の姿・信仰や精神生活を探る事に重点をおいた。それに伴い、「マレビト」「古代」「常世」などの独特の用語を産み出した(折口名彙とも呼ばれる。)。折口信夫の著作は『折口信夫全集』全31巻 別巻1 『ノート篇』全18巻 別巻1 にまとめられ、死後半世紀経った今なおその輝きを失っていない。

項目情報

 作成者:春桜庵主人
 作成日:
 更新日:2005-03-18 00:00:00

参考文献
 『折口信夫全集』中央公論社
 『折口信夫事典』 西村亨編 大修館書店
 『日本民俗文化大系 折口信夫』池田弥三郎 講談社
 『日本民俗事典』大塚民俗学会編 弘文館

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