大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に国づくりをし終えた少彦名神(すくなひこなのかみ)が帰った地、ミケヌ(御毛沼命)が渡った地、『日本書紀』「丹後国風土記」逸文において浦島子(参照・浦島太郎(うらしまたろう ))
が訪れた国として上代文学中にあらわれる。
概して、「故、御毛沼命は、波の穂を跳みて常世国に渡り坐し」(『古事記』上巻)とあるように"海の彼方の世界"として書かれる。
少彦名神(すくなひこなのかみ)は、『丹後国風土記』逸文において、「少日子命、粟を蒔きたまひしに、秀実りて離々りき。即ち、粟に載りて、常世の国に弾かれ渡りましき。故、粟嶋と云ふ。」と書かれる。
ここにおいて少彦名神(すくなひこなのかみ)は現世に豊饒をもたらすものとされる穀霊的性格を持っているマレビトである。
また、ミケヌ(御毛沼命)も御食つまりは食物を司る神と考えられるから(本居宣長『古事記伝』)少彦名神(すくなひこなのかみ)と同じような性格を持っていると考えられる。以上のことから、常世国は穀霊の故郷と考えれる。豊穣をもたらす穀霊は海の彼方の常世国から現世を訪れ、また常世国へと去って行くのである。
沖縄の伝承に海の彼方の世界(ニライカナイ)から五穀の種子がやってきたというのがある。また、海の彼方に向かって穀霊を招く仕草をする行事も残っている。常世国も似たような正確を持っていたのではなかろうか。常世国とニライカナイとの関係については柳田國男・折口信夫によって為されている。
これが転じて豊かな土地、富の根源との観念に発展してゆく。『常陸国風土記』には「いはゆる水陸の府蔵、物産 の膏腴なるところなり。古の人、常世の国といへるは、蓋し疑ふらくは此の地ならむか。」とあり山海の作物が豊富であるところから、常世国ではないかとしている。
次に浦島子の例であるがここでの常世は、先に述べたような穀霊の故郷としての性格ではなく、神仙境としての性格を持っている。すなわち老いず、死なずというものである。(常世の語が用いられたもので似た例として『日本書紀』皇極天皇三年七月条に富士川のほとりの大生部の多というものが、「此は常世の神なり。此の神を祭る者は、富と壽とを致す」と、虫を常世神として祭ったという記事がある。)
以上のように常世国が持つ性格は「穀霊の故郷」「神仙境」とふたつあげることが出来る。
常世国の語義について本居宣長は『古事記伝』のなかで、常世国はもとは底依国であり、遥かに離れた場所であり、たやすく往還出来ない地をいったのだとしている。これが常世国の原義であるとし、その上で「さて又人も何も、とことはにして変らず死ず、よろづにめでたき国を、常世国と云ることあり、是は漢籍ごとに依こと多き世になりて、彼いはゆる蓬莱などの説によりて、此方に云来れる遥けき国を云其名を借れるものなり」としている。神仙境的常世観は神仙思想流入後におこったものなのである。
つまり、常世国は海の彼方の遥か遠くにある地、または世界であり、ここにどのような幻想を抱くかによって常世国の性格は変化するのである。これが常世国がいくつもの性格を兼ね備えている理由であろう。
私は常世国の原型は少彦名神(すくなひこなのかみ)ミケヌ(御毛沼命)などの穀霊の故郷ではなかったか、と考えている。
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