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海神宮 ( ワタツミノカミノミヤ ) 英名: watatumi no kami nomiya

 地 域: 日本
 テーマ: 一般
 種 別: 地名

 「綿津見神の宮」、「海神宮」などと表記される記紀神話中にみられる海神の住居。(ここでは、引用文以外は読みにくさをさける為、「海神宮」で表記を統一する。)

 『古事記』には「即ち旡間勝間の小船を造り、其の船に載せて、教へて曰ひしく、『我其の船を押し流さば差暫し往でませ。味し御路有らむ。乃ち其の道に乗りて往でまさば、魚鱗の如く造れる宮室、其れ綿津見神の宮ぞ。』」とある。ここでは、海神宮が海上海の彼方に有るように書かれているが、別に「今、天津日高の御子、虚空津日高、上津国に出幸でまさむと為たまふ。」とある。ここでは、地上を「上津国」と表現しているから、海中にあると考えてよい。『日本書紀』には「乃ち無目籠を作りて、彦火火見尊を籠の中に内れて、海に沈む。」とある。倉野憲司は、『古事記』のように海上に海神宮があるように書かれるようになったのは、常世国や蓬莱山の信仰が多少なりとも影響したためであるとしている。

 それでは、海神宮はどのような世界であったのだろうか。海神宮の基本的な機能は、冒頭でのべた通り、海神の住居である。記紀神話中では山幸が兄である海幸の釣り針をなくし、それを探し、取り戻してくる世界である。また、そこで、海神の娘と結婚し、呪宝を海神から授かってそれにより兄を征服するのである。つまり、この説話は征服譚である。そのため、海神宮が我々になにをもたらすと考えられていたかは、この説話を逆説的に読み解いてゆく必要性がある。

 この話は、「失われた釣針と呼ばれる昔話の型であり、『日本昔話大成』では、「179 竜神と釣繩」とされる。このタイプについて松本信広は『日本神話の研究』「豊玉姫伝説の一考察」の中で、「要するに豊玉姫の伝説は、本来猟しそこねた動物を尋ねてその国にゆき、彼がみずから傷つけた、その異族の女を医してこれと結婚し、これによって異族と縁故を得て」富を保証されて帰るという形式であったのだろう。」としている。記紀神話の海幸・山幸説話では、富む、と言う事よりも海幸が貧しくなってゆく物語である。『古事記』では、海神が、「此の鉤を、其の兄に給はむ時に、のりたまはむ状は、『此の鉤は、おぼ鉤、すす鉤、貧鉤、うる鉤』と云ひて、後ろ手に賜へ。然して其の兄、上田を作らば、汝命は下田をつくりたまへ。其の兄、下田を作らば、汝命は高田をつくりたまへ。然為たまはば、吾水を掌れる故に、三年の間、必ず其の兄貧窮しくあらむ。」と山幸に教えている。ここで、私は小さな疑問に突き当たる。海神が水を支配しているのは、わかる。では、何故に釣り針を呪詛するのか。釣り針が海幸の所持品である為であろうか。私は、次のように考える。この説話は、もとは、海神が釣り針を呪詛する事によって漁獲量を減らし貧しくさせる、というものではなかったか。そして、田に関する部分は後の社会状況の変化によって説話も変化したのではなかったか。釣り針への呪詛は、説話の古い形の残存であるとも考えられるのである。

 では、海幸の釣り針はどのようなものであったのだろうか。海幸の「幸」の語は、『古事記』に「山佐知も、己が佐知佐知、海佐知も、己が佐知佐知。今は各佐知返さむ」の様にも用いられ、それぞれの狩猟道具の意味にも用いられている。では、「サチ」とはいかなる意味であるか。沖縄にはセヂという信仰がある。「おもろさうし」(巻13 853)に、「せぢ新神泊 雲寄せ泊 波風 和やけて 斎場嶽 君々しょ 守れ」とある。この「せぢ」に対して伊波普猷は「あまみや考」で「霊威」の字を当てている。折口信夫も「古代日本に於ける南方要素」のなかで、「せぢ」と「幸」は良く似ているとして、これらを「威力を持った霊魂」としている。「せぢ」には、この他にも「せぢまつるぎ(剣)」「いくさ(戦)せぢ」などの語がある。これらは、すべて「力ある」「霊力を持った」と訳す事ができる。「サチ」の意もまた、同じであっただろう。『民俗学辞典』(民俗学研究所編)の「狩猟信仰」の項に「狩人の信ずる山の神をサガミサマ・オサトサマという土地がある。海幸山幸のサチで、三河地方では獣をとる一種の霊力ともいうべきものをシャチといった」とある。ここまできて、ようやっと海幸の釣り針が普通の釣り針ではない事がわかってきた。海幸の釣り針はただの道具ではなく、獲物を多く捕るための霊力が込められたものではなかっただろうか。それが、漁をする場を支配する海神の呪詛により霊的力を失い、呪がかけられ、漁獲量が減り貧しくなっていたというのが古い形の物語ではなかったか。

 次に海幸の服従譚に目を向けてみたい。海神は、『古事記』で「若し其れ然為たまふ事を恨みて攻め戦はば塩盈珠を出して溺らし、若し愁ひ請さば、塩乾珠を出して活かし、如此惣まし苦しめたまへ」と教えている。山幸はこの通りに行ない、海幸に、「僕は今より以後は、汝命の昼夜の守護人と為て仕へ奉らむ。」と服従を誓わせている。ここでは、塩盈珠・塩乾珠が重要な位置にあるが、『日本書紀』の一書には、「又兄海に入りて釣せむ時に、天孫、海濱に在して、風招をつくりたまへ。風招は即ち嘯なり。如此せば、吾おきつかぜへつかぜ を起こして、はやき波を以て溺し悩まさむ」 と教えるものがある。松本信広は『日本文化の起源』のなかで、これが塩盈珠・塩乾珠以前の形ではなかったか、としている。海神が呪宝を授けるのではなく、教えを授けるタイプは、柳田國男が『海上の道』「海神宮考」の中で紹介している喜界島の例がそうである。友人の釣繩を失してしまった漁師はそれを探しに根屋(ニライ・カナイ)を訪れ、釣繩を見つける。そこで根屋の神に歓迎され、「卯の日子の日は日半どれ」という諺を覚えて帰る。それをしらなかった友人はその日に船をだし、嵐にあって死んでしまう、というものである。『喜界島漁業民俗』には、漁に出るのが悪い日として、同様の記録が見られる。このような天候に関する知識は海や自然界の中で働くものにとっては重要な知識であっただろう。この友人が溺れ死ぬのは、諺を覚えて帰った人間がこれを知っていた為に助かった事を強調する為であっただろう。海幸征服譚の古型は、これと同じ様なものではなかったか。

 そろそろ海神宮についての結論を出しておきたい。海神宮の機能は海神の住居である事は何度も述べた。そこを訪れる事によって海神の助力を得、海での富や幸せを得るのである。その富や幸せの象徴が妻、呪宝、諺であった。しかし、もう一つの側面があったのではなかろうか。松本信広が『日本神話の研究』で「異族の国」としたように、もとは魚が人間と同じ様な生活を営んでいる世界としての生活であっただろう。海神が魚達を呼び集める場面がそれを彷佛とさせる。そして、この世界の住人に気に入られる事が豊漁にも繋がっていくのである。『アイヌ神謡集』の中に「梟の神が自ら歌った謡」がある。ここでは梟の神に気に入られた貧しい者がその力によって裕福になっている。このような考えが海神宮の観念の成立に無関係であったという事は考えられない。海神宮を海の安全、自然の猛威をめぐる観念から発生した海神が住居とし、支配しているという考えが成立し、勢力を持ってくると、それまでの他界観は海神の機能とも重なってゆく。記紀神話に見られる海神宮はこのようにして成立したのではなかろうか。この他界は、後、竜宮という他界観念と集合してゆく。

項目情報

 作成者:春桜庵主人
 作成日:
 更新日:2005-03-16 00:00:00

参考文献
 ・『古事記全注釈』 倉野憲司(三省堂)
・『古事記注釈』  西郷信綱(平凡社)
・『日本昔話大成』 関敬吾 (角川書店)
・『日本神話の研究』松本信広(平凡社)
・『伊波普猷全集 第5巻』 (平凡社)
  「かざおなり考」
  「あまみや考」
・『折口信夫全集 第8巻』 (中央公論社)
  「古代日本に於ける南方要素」
・『日本文化の起源』松本信広(講談社)
・『喜界島漁業民俗』岩倉市郎(アチックミューゼアム)
・『アイヌ神謡集』 知理幸恵(岩波書店)
・『定本柳田國男集』第一巻
・『海上の道』柳田國男(筑摩書房)

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