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継体天皇 ( ケイタイテンノウ ) 英名:

 地 域: 日本
 テーマ: 一般
 種 別: 名前

 450年生〜531年没か。日本における第26代天皇で、名は男大迹尊(おおどのみこと)。応神天皇五世の孫で父は彦主人王(ひこうしのおおきみ)、母は近江三尾君の出の振媛、越前国坂井郡三国に生まれた。大伴金村・物部麁鹿火(もののべのあらかひ)らに擁立されて507年北河内樟葉宮で即位。琵琶湖畔の豪族和邇氏の力を頼んで手白髪郎女を皇后とした。 在位中に山城国筒城宮・弟国宮に遷り、大和国磐余玉穂宮に遷都したのは即位後20年を経ていた。この間、6年(512)には任那4県を百済に割譲、16年(522)司馬達らによる仏教の私伝(『扶桑略記』)、21年(527)には磐井の叛乱など、朝廷の支配が内外ともに大きく動揺した時代であった。畿外出身の遠国疎遠な尊が皇統を継ぐという異常事に対して、政権内部には相当強力な反対勢力があったと思われ、天皇の没年についても疑問な点が少なくない。
 『日本書紀』(武烈紀)には、金村が武烈帝を立て、自ら平群真鳥父子を討ったとき、真鳥が帝を恨んで各地の塩を呪って食用とされることを妨げたが、越前敦賀の塩だけは呪言を忘れたので今も敦賀の塩は天子の用いるところとなっているという記述がある。これなどは大伴金村が越前の地に特別の交渉関係をもっていたことを物語る伝承で、男大迹尊が越前から迎立された経緯もそれなりの理由にもとづくものと思われる。又天皇の没年については、『日本書紀』の編者は辛亥(531)年としているが、一書の説としては甲寅(534)年説を載せている。これも辛亥の年の政変で天皇は崩御し、後に蘇我稲目らに擁立された欽明帝と、翌々年これに対立して大伴金村らに擁立された安閑帝(継体帝の皇子)が即位するという、両朝並立の内紛から生じた異伝といえる。
 越前には継体天皇にまつわる口碑は多い。都から山の辺の道を通り、山城をぬけて琵琶湖を北上すれば敦賀・三国へと続く。その陸路水路はまたそのまま継体天皇の背後勢力となった皇妃出身の和邇氏の勢力圏でもあった。越前今立郡味真野村(福井県武生市)の鞍谷は、木地師の活躍した地であるが、又天皇の遺跡と称する口碑伝承の分布している地方でもある。天皇御出猟のおり、村内の川水が多くて渡れないので水速女命に祈り、ふたたび水を河面に現すなかれと宣せられたので、以後は地下を流れるようになった(『南越民俗』一)という。弘法大師が水を求めたが不親切にしたので水が止まったという、いわゆる「水無川」型の話が、ここでは天皇の偉業を称揚する神人伝説として残っている。越前福井の足羽川の流れを望む足羽山公園の山頂には、付近に住む石屋の集落が男大迹王子の御姿と称して粗末な石像を立てたが、この伝承の根強さが窺える。越前地方の継体天皇伝承にみられる、塩といい水にまつわる話といい、そこには河海の水系を握っていた和邇氏の伝承と無縁ではない痕跡が認められる。陵墓は大阪府茨木市三島の藍野陵とも、高槻市内の今城塚と呼ばれる前方後円墳ともいわれるが確証はない。

項目情報

 作成者:山本寛子
 作成日: 2005-01-26 00:00:00
 更新日:2005-03-09 00:00:00

参考文献
・『日本伝奇伝説大事典』(角川書店)

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