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鄭成功 ( テイセイコウ ) 英名:

 地 域: 中国
 テーマ: 一般
 種 別: 名前

 1624年生〜1662年没。中国、明末・清初の武将で復明運動の中心人物。鄭芝竜(ていしりゅう)を父に、田川氏の娘を母に日本の平戸で生まれた。幼名福松、中国名は森(しん)。7歳で明に渡り(1630年)、南京の大学で学んだ。明が滅亡すると(1644年)、明室の唐王の知遇を得て王室の姓である朱姓を賜って成功と改名した為、国姓爺(こくせんや。国姓とは朱をさす)ともいわれる。反清運動を展開した父はまもなく清に降伏したが(1646年)、大陸に渡った母が自殺した(1646年)ことなどから、父の呼びかけによる清への招撫には応じず、最後まで反清復明に取り組んだ。父の海上権を受け継ぎ、日本・琉球・安南(ベトナム)・交趾(コーチン)・シャム(タイ)・ルソンなどとの間に貿易を行うとともに、大陸への反攻を連年展開、日本にも5回援助を請うたが入れられなかった。厦門(アモイ)・金門(いずれも福建省)を奪回して(1650年)思明州と改名、以後、約30年間鄭氏の領域とした。
 1661年に清が遷海令(沿海5省の人民の30里内地への強制移住による大陸封鎖)をしくと、台湾を攻めてオランダ人の拠るゼーランディア砦(安平城)などを攻略して全島を支配(1662年)、復明運動の根拠地とした。福建・広東方面の住民を移住させて台湾経営に尽力、南進の為イタリア人宣教師をルソンに派遣したが、まもなく自身が病没(1662年)。復明運動は子の鄭経(ていけい)らに引き継がれたが、1683年、台湾鄭氏は全滅し、清は台湾を直轄化した。
 1700年、清の康熙(こうき)帝は鄭成功を明の遺臣と認め、遺骸を福建省南安に埋葬して建廟することを許した。現在は中国でも台湾でも、民族英雄として尊崇され、又道教神として台湾各地の廟に祀られている。江戸時代の日本でも鄭成功らの反清復明の内乱に取材した、近松門左衛門の人形浄瑠璃『国姓爺合戦』が初演されると(1715年)、17ヶ月続演の記録をたてて絶大な人気を博した。

項目情報

 作成者:山本寛子
 作成日: 2005-01-26 00:00:00
 更新日:

参考文献
・『世界史のための人名辞典』水村光男編著(山川出版社)

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