東王公、東皇公、東父とも、五行説にそって木公とも呼ばれる。また西王母(西母)と対になる存在として東母や東王母という表記も存在する。
西王母が月、東王父が日を象徴し、それぞれ対となる存在だと考えられる。しかし文献上にあまりその名は見られず、存在がかなり霞んでいる。
『海内十洲記』では、碧海の中央にある扶桑の上には太帝の宮殿があり、太真東王父がそこに役所をもっているとされている。
巨大な扶桑樹は、『淮南子』や『山海経』で、東の果てにある暘谷のほとりに立つとされ、その枝に10個の太陽がぶら下がるされている。
『論衡』などに記される度朔山伝説や、東方の神山などとの関連性をもつ。
『博物誌』や『漢武故事』などに現れる東方朔(とうぼうさく)と『漢武帝内伝』で男の仙人を取り仕切ると書かれる東海小童、そして東王父にはどこか共通点があるように思われる。
『穆天子伝』や『漢武故事』などから考えるに、西方の支配者の西王母に対する東方の支配者は、穆王や武帝など中原の支配者でなくてはならず、その対置の構造において東王父の存在は邪魔だったと考えられる。
もともと東から西の地を訪れるのは、太陽神の側面をもつ東王父の役割だったはずだ。
仙桃を盗んで食べたために長命だったとされる伝説中の東方朔は、立場を奪われた東王父の一部分ではないだろうか。
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