1654〜1722。清朝第4代皇帝(在位1661〜1722)、廟号は聖祖。中国史上第一の名君と言われ、許遜の伝えた『正対化霊天真坤元霊符(せいたいかれいてんしんこんげんれいふ)』にまつわる話にも出てくる。康熙帝は順治帝の御子であったが、幼少の頃、韃靼(だったん=タタール)から明に渡り、出家して北京の禅寺に入り、僧として苦行に励んでいた。
ある時一人の道人がやってきて、この僧を見、「あなたにはまことに稀な聖相がある。成長するに従って、この上なく富貴となり、天下をその掌中に収めることが出来る相である。しかし、惜しいことにはその稀にみる吉祥の相を覆い隠すような陰翳の気が見える。私がそれを退けてさし上げましょう」と告げたのである。
そして懐から一つの霊符を取り出し「これは、正対化霊天真坤元霊符と名づけるものです。壁に貼っておいて朝夕に御覧なさい。あなたの運を開くことは間違いありません」と断言したのである。
更に僧の生まれた年を聞き、指を折って計算して一枚の霊符を授け、そのまま名を告げずに去ろうとしたので、僧が道人の袖をおさえて「あなたは、どなたですか?」と尋ねると「我は、西晋の許真君仙人(許遜)である」と答えてそのままどこかに去っていったのである。
僧はそれから霊符を壁に貼って、朝夕となく見るうちに数年の月日がたった。時に大清の世祖順治帝が崩御されたので、諸臣が評議してその僧を禅寺から迎え奉って帝位につけた。これが康熙帝なのだという。
幼少から出家して苦労していたので、手はひび割れ、足は垢だらけというような僧が開運し、帝位についた。富と名誉を得、更にその寿命も長く、康煕という年号は61年間続き、しかもかつてないような平和な時代で人々は太平を謳歌した。
この帝王の開運は、ひとえに、正対化霊天真坤元霊符の霊験によるものであると伝えられているが、ちなみに康熙帝は即位の後、康煕3年に許真君(許遜のこと)を北京城外に祀り、「開国守護正化霊陽神廉真人(かいこくしゅごせいかれいようしんれんしんじ)」と名づけ封じられたという。
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