その元を遡ればなんと邪馬台国の神だった、とする説もあるが、比売神(ひめかみ)の本拠地宇佐には最初から応神天皇として名乗りを上げて現れた。
もう1柱、神功皇后とされる大帯姫(おおたらしひめ)と3神がセットになって「八幡三所」と総称される。
記紀神話に登場しないにも関わらず、要所要所の歴史的局面に介入してあっと言う間に舞台中央に躍り出た。
以下にその抜群の要領良さの程を追いかけてみよう。
聖武天皇の発願で始まった大仏建立だが、仕上げには大量の金が必要であった。しかし、当時国内でその黄金を準備することは不可能であった。その為、唐から輸入しようと決定しかけた時、八幡は「陸奥で金が見つかる」と託宣を下し、事実そうなった。
孝謙女帝の御宇、八幡の託宣を盾に道鏡が天皇位簒奪を試みた。この時、八幡神の真意を質す為に和気清麻呂が宇佐宮に派遣された。その調査の結果、道鏡とつるんだ祢宜が託宣を丁稚上げていたことが露顕し、八幡の諫めもあって簒奪は阻止された。
他にも隼人征伐や元寇と云った血生臭い局面にも大いに力を現した。神風を起こしたのも彼である。
そんな好戦的性格の故か、氏神として源氏の尊崇を受け、武神の地位を確立している。
しかし彼は「護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりきじんづうだいじざいおうぼさつ)」と自ら称する仏教徒であるので、本来殺生を好まない。その為、現在でも八幡に対しては、他の神社と違って魚肉の類を決して供物にしない。そのような求道的生活態度も与って、彼の霊力は日本国八百万の神々の中では最強である。
平城天皇の御宇、密命を帯びた神異僧(元は新羅の皇太子)が新羅から日本に潜入した。僧の験力は凄まじく、忽ち水差しの中に日本全土の神々を残さず幽閉してしまう。実はこの僧は、日本の守護神を全て封じ尽くすことによって国土への霊的加護を断ち切る、と云う目的で送り込まれたのである。この大難にあって唯一抵抗力を示し、囚われた神々を解放したのが八幡神であったのだ。
清和天皇践祚の折り、九州の宇佐から京都の石清水へと中央進出するに当たって、八幡神は王朝の守護者を買って出る。「百王守護」の護国神たらんことが彼の本誓だからである。
以上、これらは全て託宣と云う形で八幡自らが表明し形成した神話である。その託宣の高度な政治性と頻度は、アポロンにも比肩し得るだろう。
因みに、アポロンは白鳥、八幡は山鳩、と両者共に鳥を使いとしている。
八幡に直接対面した人も数多い。その中でも別格の有名人と言えば日本天台宗の開祖、伝教大師最澄である。彼は遣唐使として渡海するに当たって、海路の無事を祈願した。勿論、最澄は無事帰国できた。そこで宇佐宮にお礼参りし、法華経について講演したところ、その教えに感激した八幡が姿を現して袈裟を与えたのであった。
元々八幡神の本地は何となく釈迦如来か観音菩薩と云うことで通っていた。
ところが、平安時代の鴻儒大江匡房の宣伝によって一転、本地は阿弥陀仏と云うことに定まったのである。
【主要神社】
宇佐八幡宮(大分県宇佐市)
石清水八幡宮(京都府八幡市)
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
筥崎八幡宮(福岡県福岡市)
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