「アヴァローキタ(「観」) + イーシュヴァラ(「自在」)」と理解されて漢訳された語が「観自在」菩薩である。古くは「光世音」とも訳されていたが、鳩摩羅什以後は「観世音」或いは省略して「観音」と訳した。この鳩摩羅什の訳語が最も流布している。
彼は何故「観音」なのか?その答えは、実は『法華経』にある。即ち、「観音の名を呼んで助けを求めれば、その音声を観て救助にやってくる」から「観音」なのである。
実にこの「観音」命名の由来が説かれている『法華経』の「普門品」と云う章こそは、彼に寄せられる広汎且つ強固な支持の源である。
ここには幾多の観音の御利益が説かれている。
即ち、「南無観世音菩薩」と一声発すれば、彼はその場に応じた姿で現れて、直面した危機から救い出してくれる、と言うのである。
その救難活動は火難・水難から始まって、夜叉や羅刹の難や煩悩の難にまで及ぶ。
面白い御利益としては、何と罪人までもが脱獄できたり、受けた呪いをそっくりそのまま呪者に跳ね返したり、と倫理的におかしなものすらある。更に、男女の産み分けにも力を発揮して美男・美女を授けてくれる。大衆のハートを鷲掴みにして放さないのも道理である。
人々の強力な支持は観音のイメージを更に膨らませていった。即ち、「変化(へんげ)観音」と総称されるバリエーションの登場である。
中でも「六観音」は有名だが、これは聖観音・十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音、と後一つは天台宗では不空羂索観音を数え、真言宗では准胝観音を入れるものである。
更に観音のイメージは様々な神格と習合していく。
南インドではシヴァ神として顕現することもあったと伝えられている。
中国に渡っては、玉皇大帝に仕え、宗教の壁を越えて道教徒となった。また、天仙娘々(碧霞元君)と同一視され、性の壁も越えて美女となった。
日本でも女性性は感得され、観音の中にキリストの母マリアが見出されて「マリア観音」が生まれた。
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