「頭陀第一」と讃えられる仏教教団の重鎮。釈迦亡き後の教団を指導した。
釈迦の弟子中「迦葉」の名を持つ者は多く、また各々それなりに軽からざる人物である。例えば、成道前からの修行仲間にして最初の仏弟子の1人である十力迦葉。或いは、釈迦に随従することになる出家の弟子1250人の内、実にその1000人を率いてそっくり入信した迦葉3兄弟、即ち優楼頻螺(うるびんら)迦葉・伽耶(がや)迦葉・那提(なだい)迦葉等。
しかしそれらの迦葉に比べても彼の功績はずば抜けて偉大である為、特にその名に「摩訶」(「大」の意)を冠して「摩訶迦葉」と呼び慣わす。
彼の最大の功績は何と言っても「結集(けつじゅう)」と云う重大な総会をとりまとめ、成功させたことにある。
釈迦が入滅すると、阿羅漢達は「もう生きていても仕方が無い」と考えて銘々世を去ろうとした。迦葉はそんな動きを察知して須弥山の山頂に登り、全世界に向けて彼らの翻意を促す声明を放送した。この呼びかけに応えて集まった阿羅漢達によって「結集」が開催されることになる。殊更に阿難に厳しく当たって指導したのもこの時のことである。無論それは、このプロジェクトに阿難の協力が不可欠であることを知悉した上での深謀遠慮であった。
そして、マガダ国王阿闍世の後援の下、この総会で釈迦一代の説法と禁制に関する各員の記憶が確認された。これによって後世に仏教が伝えられる基が築かれたのであった。
この「結集」によってまとめられた釈迦の説法に関する伝承は「経」、禁制に関する伝承は「律」、と云う形で文字化され、東へと広がっていくことになる。
ところで、頭陀行(ずだぎょう)を好んだ迦葉の着衣は見苦しいくらい汚らしかった。外見で中身を判断するのは人の常。釈迦に従う者の中にも、身なりを見て迦葉のことを軽んずる風潮があった。それを察知した釈迦は、弟子達の面前で迦葉に自分の席を半分譲ろうと言い出し、その上「先に出家したのは君だったかな?私だったかな?」と問うた。これには一同色を失って慌てふためいた。何故ならば、実は迦葉は釈迦よりも先に出家していたからである。釈迦の教団では席次が「来た順」となっており、出家が早ければ早いほど上座に着けられ敬われていたのである。尤も、迦葉はあくまでも弟子として釈迦に師事する姿勢を貫いたのでこの件も落着するのだが、迦葉の重みは強く印象付けられたのだった。
迦葉は、釈迦入滅から7日目にして漸くその報せを受け取った。そこで急いで入滅の地クシナガラに赴いたが、その間、釈迦の葬儀は中断していた。火葬を始めようとしても、薪に火が点かなかったのである。一同は「これは迦葉の到着を釈尊が待っているのだ」と解釈し、迦葉を待つことにした。果たして迦葉が到着すると釈迦の両足が金の棺桶からはみ出し、迦葉に別れの挨拶を促すかの如くであった。斯くて葬儀は再開され、釈迦は全世界の衆生に見送られたのであった。
迦葉を特別扱いするこうした様々な伝承を踏まえて、更に彼の地位は高められていく。
ある時、釈迦はいつものように大勢の前で説法をしていたのだが、梵天王から蓮華を1本捧げられてそれを受け取るや、突然黙り込んでしまった。そして、何やら曰くありげにそれを摘み上げて見せた。居合わせた聴衆はその意味を量りかねて、皆押し黙ってしまった。その中で独り迦葉は喜色満面にして微笑を漏らした。それを見た釈迦は、「私が持っている真理は、たった今、迦葉に託した」と宣言したのであった。
このようなイメージが築き上げられた迦葉だからこそ生きてくる説話がある。
声聞や菩薩の錚々たる面々が集った、ある日の釈迦の説法のこと。説法が一段落した正にその時、大地震が起こり、世界の様相は一変して真っ平らになった。やがて、上空には妙なる音楽が流れると共に、様々な異相が現れた。緊那羅の王が香山からやってきたのである。そして緊那羅王が瑠璃の琴を奏で始めると、何と大地が踊り出す。そして、最高位の菩薩達を除いた他の衆生もまた我を忘れて踊り出した。
それは堅物で鳴らしている迦葉も例外ではなかった。普段の威厳もどこへやら、子供のように形振り構わず踊り狂っている。同席していた菩薩が呆れて迦葉をたしなめるが、迦葉は答えて曰く「自分でもどうしようもないのだ!」。恐るべきは緊那羅王の音楽の魅力、そして菩薩の堅固な志操、と云う訳である。
実は迦葉は今も生きている、と云う伝説がある。
釈迦没後に行われた「結集」から20年。彼は鶏足山と云う山の頂に立っていた。彼は世の無常を厭うているのだが、釈迦は臨終の遺言で自分の教えを守り立てることと、とある袈裟を弥勒菩薩が現れるまで保管しておくことを迦葉に命じていた。つまり、弥勒菩薩がこの世に降臨するまでの57億6千万年間、彼は死ぬに死ねないのである。そこでその間は山中のこの地で静かに座禅瞑想に明け暮れていようと考えているのである。するとどうだろうか。彼のその思いに感応して山は3つに割れ、迦葉の体を呑み込むと再び閉じたのであった。
将来、弥勒が竜華三会(りゅうげさんね)を終えて合図を送ると、彼は山から出てきて釈迦の袈裟と言伝を弥勒に伝える。そして空中に飛翔すると火定(かじょう)に入って滅度するのである。弥勒の説法に会ってさえも仏教を信じようとしない者達も、さすがに生きたタイムカプセルを目の当たりにして帰依するそうである。
但し、これに類する別の伝説によると、「結集」も終わって一段落付けるともう彼は釈迦の後を追って滅度してしまう。その場所も鶏足山ではなくて霊鷲山であり、弥勒の世に出るのも彼の遺骨であるとされる。
ところで他の声聞の弟子達と同様、迦葉もまた釈迦から成仏の予言を授かっている。迦葉の場合は特別に、声聞としての自らの求道を反省して「窮子喩(ぐうじゆ)」と呼ばれる譬え話を披瀝して釈迦の意を迎えている。そして釈迦の予言によれば、迦葉は遥かな未来において「光徳」と云う国で「光明如来」と云う名の仏となることになっているのである。
因みに、菩薩に「格上げ」された迦葉であるが、更にその上老子と同一視されたこともあった。迦葉はやはり堂々たる仏教の代表者であり続けたのであった。
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