|
阿弥陀仏のイメージは、仏教の東漸と共に飛躍的に発展した。その結果、神話の膨らみは教主釈迦如来に次ぐ豊かさとなった。そのようなところからも彼の「力」の強さが垣間見れる。
さて、「阿弥陀仏」とは元々何者なのだろうか?名前から判るだろうか?
その名前は、漢字の集合体としては意味を成さない。サンスクリット語の「アミタ」(形容詞「計量できない」)の音を当てただけの語である。
では、何が「計量できない」のか?
実は阿弥陀仏が登場した段階から既に、「アーバー」と「アーユス」二系統の「計量できない」特質が別々に存在していた。
前者を漢訳したものが「無量光」如来であり、後者は「無量寿」如来である。
そのような状況なので、阿弥陀仏の起源についてはヴィシュヌやアフラ・マズダーやミスラなどとする諸説が色々と立ち並ぶものの、所詮は何れも憶測に過ぎない。
紀元前後の頃に所謂「大乗仏教運動」が初まる。以後「大乗経典」がインドや中央アジアで大量生産されるが、その中でも阿弥陀神話は初期に創作された部類である。
こうして始まった阿弥陀神話に概ね共通している要素は極楽であり、次いで本願と云ったところである。また、観音・勢至の二菩薩も近しい位置に配置されることが多い。
現在流布している一般的イメージと圧倒的信仰は、大体6世紀頃の南北朝時代の中国で固まった。
それは概ね以下のようなイメージとして受容される。
かつて法蔵菩薩は五劫の間考えに考えて四十八の本願を建て、不可思議兆載劫の間修行し、遂に十劫の昔に成仏して阿弥陀仏と名乗り、今もここから西方に十万億カ国にも上る他の仏達の国々を隔てた所にいて、他のどの仏よりも強力な光で一切の衆生を照らしている。
阿弥陀仏は密教でも受け継がれて、五智如来の一角を占めた。
チベットでは観音の化身ダライ・ラマと並ぶ最上級の転生活仏パンチェン・ラマとして、常に人々に寄り添い続けていると言う。
死後の審判を司る十王の一員、五道転輪王としても、彼は最後まで衆生を救わんと努めてくれる。
また、八幡神の本地にもなった。
別世界の住人であるにも関わらず、阿弥陀仏は断然多くの人々に愛される仏となったのであった。
|
作成者:水月 作成日:
更新日:2005-03-17 00:00:00
|
『無量寿経』(『大正新脩大蔵経』第12巻所収)
『観無量寿経』(『大正新脩大蔵経』第12巻所収)
『阿弥陀経』(『大正新脩大蔵経』第12巻所収)
『楽邦文類』宗暁(『大正新脩大蔵経』第47巻所収)
『浄土教之研究』望月信亨(金尾文淵堂)
『塚本善隆著作集 第4巻 中国浄土教史研究』塚本善隆(大東出版社)
『浄土教の成立史的研究』香川孝雄(山喜房仏書林)
|
|