一般に役小角(えんのおづの、おづぬ、しょうかく)と呼ばれ、他に役優婆塞(えんのうばそく)と呼ばれる。
”優婆塞”は寺に入らず仏道を修行する男子の呼称。
『源平盛衰記』などによれば本名は賀茂役君小角(かものえのきみおづの)で、一応神道の名家賀茂一族の分家にあたる。(ただし父親の名字は高賀茂とも伝わる)
奈良時代に葛城山の麓に生まれ、古代から続く山岳信仰の一部を引き継ぎつつ、仏教とその一流派である大乗仏教を加えて、修験道と密教の基を興した。
一説には634年に生まれたとされているが、伝説の色が濃く、やや信頼性が薄い。
前鬼と後鬼という夫婦の鬼を使役したと言われることから、邪法を使う者として名をおとしめられることもある。
ただしこの前鬼と後鬼だが、能の『鞍馬天狗』などでは大峰山の天狗だとされている。そこから考えると、もともと彼らは役行者と同じ山岳修験者で、行者に付き従った者たちだろう。他でも、鬼のような姿をしていたがれっきとした人間だったといわれている。
行者は『今昔物語』などでは葛城山にまつられる国津神である一言主(ひとことぬし)を使役するなど、多くの不可思議な逸話を残すため、宗教家ではなく呪術者や妖術使いのようにもいわれる。
山岳信仰はクニトコタチやオオナムチなどを霊山にまつることがあり、実際葛城山では『古事記』の雄略記にも書かれる一言主が古くから信仰されており、一応国津神系の神道だが、彼はその信仰に大乗仏教を加えた。
そのことから、神道派や純粋な仏教派には、異端視されたのではないかと思われる。
『続日本紀』などには文武3年(西暦699年)、他の呪術師の訴えによって、伊豆に流刑に処されたと記述されている。
また『日本霊異記』では、小角の所行に怒った一言主が、人に憑いて現れ、「行者は国を傾けようと謀っている」と託宣したことが流刑の原因とされている。
数年後、罪を許され刑を解かれたようだが、そのあたりはかなり曖昧で、正確には良くわからない。
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