オホクニヌシとヌナカハヒメの間に生まれた。ヤサカトメノミコトを妻とする。風神・水神的性質もあるが、軍神としての信仰が篤い。平安時代の『梁塵秘抄』では「関より東の戦神、鹿島、香取、諏訪の宮」と歌われた。
記紀の国譲り神話によれば、国を明け渡すように迫ったタケミカヅチに最後まで抵抗したのがタケミナカタである。千引石という巨大な岩を担いで、タケミカヅチの前に登場する。
もとより、タケミナカタに話し合いをするつもりはなかっただろう。睨み合いは、やがて激しい戦闘へと移る。しかし力の差は歴然であった。タケミカヅチの手は、氷柱や剣先に変化し、タケミナカタを追い込んで行く。タケミナカタは逃げ出すが、執拗に追跡し、信濃国の諏訪湖まで追いつめ遂に服従させたのである。それをオホクニヌシに伝えると、「もはや何も問題はないでしょう。この国を差し上げます」と答えた。ここに国譲り神話は幕を閉じる。
しかし、諏訪にはこの不名誉な神話とは逆に、タケミナカタが諏訪湖の龍神や、土着神のモリヤノオトドを平定してこの地の支配者となる伝説がある。『諏訪大明神絵詞』など、その武威を強調している資料も多い。
タケミナカタの軍神としての信仰は、平安時代には全国に広まっていた。神功皇后の新羅遠征、坂上田村麻呂の東征など活躍することになる。神話編纂の際に、藤原氏が氏神のタケミカヅチの武威を高めるために、タケミナカタを利用したと考えれば全てが納得行くだろう。
軍神以外の性質としては、『日本書紀』持統紀5年(691)に、龍田風神と並んで諏訪の神が祀られている。これが最古の記録である。諏訪大社は、古来から風神としても有名だった。かつて諏訪大社には、「風」を祀る官職に「風祝(かぜはふり)」というものがあった。
『梁塵秘抄』262番歌に、信濃諏訪大社が美濃の仲山カナヤマビコ神社という治金に関連した神社の本宮であると歌われている。龍田風神も治金の性質を持っており、タケミナカタも治金の神であったのではないかという説もある。
中世まで狩猟の神事が行われていたことから、狩猟の神としての信仰もある。様々な信仰を受けるタケミナカタだが、それだけ人気があるという証拠でもある。分社の数は全国に5000を数える。
【主要神社】
・諏訪大社(長野県諏訪市)
・広田神社(兵庫県西宮市)
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